2022年9月11日 最高の道 森永憲治牧師

(要約)コリントの教会に対立や分裂がありました。しかし信徒たちは互いに異なる賜物を神から預かっています。それを主イエスの教え「信仰・希望・愛」に導かれて用いることこそ、最高の道です。

(説教本文)コリントの信徒への手紙一12章27~13章13節

コリントの手紙が書かれた背景を見てみましょう。使徒言行録18章1~11節を見て見ましょう。249ページです。

18:01その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。 18:02ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、 18:03職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。 18:04パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていた。 18:05シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。 18:06しかし、彼らが反抗し、口汚くののしったので、パウロは服の塵を振り払って言った。「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く。」 18:07パウロはそこを去り、神をあがめるティティオ・ユストという人の家に移った。彼の家は会堂の隣にあった。 18:08会堂長のクリスポは、一家をあげて主を信じるようになった。また、コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ、洗礼を受けた。 18:09ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。 18:10わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」 18:11パウロは一年六か月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた。

まず、この11節にあるようにこのコリントでは1年半滞在した模様です。そして9節には主が幻を通して「恐れるな、語り続けよ、黙っているな。」とありますから、パウロの身の上に、伝道するがために困難があり、それはイエスキリストを伝えることを躊躇してしまうようなことも起こったと推測されます。

それは何かというと、一つはこの使徒言行録18章5~6節を見ると、ユダヤ人から反抗されたようです。おそらくこのユダヤ人による反抗が身の危険を及ぶほどに激しかった可能性があります。

その時パウロは6節で「今後私は異邦人の方へ行く」と言いますが、18章1節で「その後パウロはアテネを去ってコリントへ行った」とあります、聖書の最後の「8 パウロの宣教旅行2,3」を見て見ましょう。

この直前である使徒言行録17章、皆さんの聖書では248ページですが、このコリントにはアテネからやってきて、そのアテネでは偶像崇拝が盛んで、またエピクロス派やストア派の人達と議論になったとあります。彼はパウロがイエスの復活のことを話し出すと「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と、やわらかに拒絶されたようです。しかしそれでも何人かはパウロの話を聞いて信仰を持ったのでした。

今申し上げましたように、使徒言行録18章で、パウロはユダヤ人の激しい反抗を受けていましたが、アテネで異教の人から拒絶された経験を踏まえつつも、パウロはユダヤ人ではなく異教の人に福音を伝える方がいい、そう考えたのかもしれません。

一年六か月、パウロはコリントで教会を形成しました。ところがパウロが離れた後、大きな混乱が起こってしまいました。ここでⅠコリントの冒頭部分を見て見ましょう。299ページ、1章10~17節です。

10さて、兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。 11わたしの兄弟たち、実はあなたがたの間に争いがあると、クロエの家の人たちから知らされました。 12あなたがたはめいめい、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」などと言い合っているとのことです。 13キリストは幾つにも分けられてしまったのですか。パウロがあなたがたのために十字架につけられたのですか。あなたがたはパウロの名によって洗礼を受けたのですか。 14クリスポとガイオ以外に、あなたがたのだれにも洗礼を授けなかったことを、わたしは神に感謝しています。 15だから、わたしの名によって洗礼を受けたなどと、だれも言えないはずです。 16もっとも、ステファナの家の人たちにも洗礼を授けましたが、それ以外はだれにも授けた覚えはありません。 17なぜなら、キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです。

コリントの教会では、簡単に言えば分裂が起こったようでした。パウロの手紙は、基本的に教会で問題が起こり、それに対して正しい福音とは何かを教え、そしてそれを元にして具体的な教会の中の問題を解決するアドバイスをするというパターンです。コリントでは分裂が起こってしまい、それに対して特定の誰かに従って分裂するというのではなく、イエスキリストに従いなさい、そしてイエスの教えとは何かを語るのです。

このような教会の中での、考え方の相違や勢力争いのような分裂があり、また、分裂の一つの原因として、8~10章に語られる、偶像崇拝に捧げられた食べ物に関することで、ここでやはりユダヤ人クリスチャンと非ユダヤ人クリスチャンの間で意見の衝突が起こりました。

本日の聖書箇所はこうした分裂を背景として、それに対してどう可解決するか、パウロが指導しているのです。315ページに太字で書いてあります、「一つの体、多くの部分」。それは教会の中でいろんな人がそれぞれ異なる賜物を持った人がいる、しかしそれは祝福であって、その違いを尊重しなさい、その違いを尊重しつつイエスキリストにあって一致しなさいとパウロはいうのです。

本日は「最高の道」という題ですが、そうです、それではイエスの教えとは何か、それは、信仰と希望と愛が大切であり、その中でも一番愛が大切なんだ、と、分裂状態に陥ったコロンとの信徒へ、改めて正しい神様の教えを伝えているのです。

コリントの教会ではいろんな賜物を持った人がいたのでしょう。

もちろんこれは今の私達に対しても語られているのです。例え何か教会で大きな功績を残したとしても、もしそこに愛がなければ神様の前ではいっさい無意味とパウロは教えます。

ではそうした賜物の功績が愛があるかないか、それは、そのことで自慢したり利用したり、また、他人の功績を妬んだりしない、そういうところで判断できるというのです。

逆に言えば、この世の特殊な賜物を持つより、愛に溢れた平凡な生活の方がずっと価値があるのだと言えると思います。

信仰、それはイエスキリストを信じること。そして信仰があれば、どんなに困難の中にあっても希望が生まれます。希望が生まれた時に神様のまことの愛が分かるでしょう。

このⅠコリント13章、みなさん御自身でクリスチャンチェックリストを作ってはいかがでしょう。寝る前にその日一日チェックするのですよ、実践してるかですね。例えば、
「あなたは今日誰かの悪口言いませんでしたか?」
「あなたは今日誰かを妬みませんでしたか?」
「あなたは今日自慢話をしませんでしたか?」
「あなたは今日短気おこしませんでしたか?」
「あなたは今日ズルしませんでしたか?」

クリスチャンにとって一番大事なのは愛なんだ、それが教会においても生活においても問題解決の根本であり、それがまことの神様と共に歩むまことの幸せな生活なんだと、このことを改めて心に刻みたいと思います。