2022年11月20日 王となったダビデ 吉岡喜人牧師

(要約)サムエル記に表されたダビデは、戦いに明け暮れ、やっとイスラエルとユダを統一した王になったところで、バト・シェバ事件を起こしました。そのようなダビデはなぜ後代まで多くの人に親しまれているのでしょう。

(説教本文)サムエル記下5章1-5節 
 旧約聖書にはひとりの女性を描いた書としてエステル記とルツ記があります。旧約聖書続編にもユディト記があります。エステルはユダヤ人を絶滅しようとするペルシャの大臣の陰謀を食い止めた英雄です。ユディトはアッシリアの将軍の首を討ち取ってイスラエルに勝利をもたらせた英雄です。しかし、ルツ英雄ではありません。ルツはモアブという民族の出身ですから、聖書の民であるユダヤ人・イスラエル人から見れば異邦人です。若くして夫に死なれ、紆余曲折の後、ユダヤ人のボアズという人と再婚しました。そのルツの子孫にダビデがいるのです。ルツ記の最後にルツの子孫の名前が書かれています。ルツ記4:17「その子をオベドと名付けた。オベドはエッサイの父、エッサイはダビデの父である。」さらに18節~22節にも系図が書かれ、ダビデがボアズの子孫、すなわちルツの子孫であることが書かれています。系図はマタイによる福音書の冒頭にも書かれていますが、「ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、エッサイはダビデ王をもうけた。」実は、この系図がルツ記が書かれた目的なのです。ダビデは決して純粋なユダヤ人ではないと伝えているのです。
 
 なぜ王となったダビデが純粋なユダヤ人の血筋でないと書いているのでしょうか。強い家父長制のユダヤでしたから、系図は基本的に男性の系図です。ボアズのことだけ書くのが普通なのに、異なる部族出身のルツのことをなぜ書く必要があったのでしょうか。
 わたしは、行き過ぎた民族主義がいかに危険なものであるかを示すためではないかと思っています。先ほどのエステルやユディト、出エジプト記に描かれたモーセ、アロン、士師記に描かれたサムソンなどは皆、民族の英雄です。同じ民族で団結しなければ生き延びることができなかったイスラエル・ユダです。民族意識は重要でした。しかし、民族主義は行き過ぎると危険です。行き過ぎた民族主義はこれまでなんども世界に不幸をもたらせて来ました。かつての日本でも天皇家を万世一系として民族主義を煽り、アジア侵略を正当化し、多くの若者を死なせました。ドイツのナチズムも民族主義を煽り、ユダヤ人虐殺を正当化しました。ユーゴスラビア、ルワンダなどの国内の紛争でも、民族浄化という名目による民族主義によって多くの人々が虐殺されました。行き過ぎた民族主義に陥らないように、ダビデは決してユダヤ人だけの血筋ではないことをルツ記は示しているのではないでしょうか。
 
 ルツ記の後にはサムエル記が続きます。「サムエル記」という名称になっていますが、内容はダビデ記です。
 預言者サムエルは民の求めに応じてサウルを王として選び、イスラエルを王国にしました。しかし、サウルは問題の多い人物でした。サウルを王に選んだことをサムエルは嘆きました。しかし神様は嘆いていないで次の王を選びなさいとサムエルに言われ、サムエルをベツレヘムのエッサイの家に送り出しました。エッサイの子どもの中から次の王を選ぶことになったのです。次世代の王になる者として選ばれたのは、まだ少年だったダビデでした。なぜ神様はまだ少年のダビデを次の王としてサムエルに選ばせたのか、だれにもわかりませんでした。ダビデ本人にもわかりませんでした。それが神様のご計画でした。
 
 ダビデは王サウルの側近としてサウルに仕えるようになりましたが、サウルの気性は激しく、心が乱れることがよくありました。そのような時、ダビデは竪琴を上手に弾いて、サウル王の心を落ち着かせました。サウルはすっかりダビデを気に入りましたが、あることからサウルはダビデを憎むようになります。それは、ペリシテとの戦いで、兵たちが恐れていた大男のゴリアテを少年ダビデが倒したことでした。ゴリアテを倒したことで人気が急上昇したダビデにサウルは敵意を抱くようになったのです。ダビデに槍を投げ、ペリシテ人との戦いを利用してダビデをなき者にしようとしたのです。それがうまくいかないとなると、サウルはダビデを殺すように命じたのです。ダビデはサウルのもとから逃げ出し、野山を放浪し、日々の食べ物にも困るほどでした。
 時を経て、サウルは長男ヨナタンと共にペリシテとの戦いで戦死しました。
 
 サウルが死んだので、ダビデが直ちにイスラエルとユダの王となったと思うかも知れませんが、ことはそう簡単ではありませんでした。サウルの家臣だった将軍アブネルが、サウルの子イシュ・ポシェトを擁立してイスラエル王国の王としたのです。一方のダビデはユダの王に即位しました。そこから、イスラエルとユダの間に争いが始まったのです。醜い争いが繰り広げられました。
 
 ある時、イスラエル側に事件が起こりました。イシュ・ポシェトの後ろ盾であった将軍アブネルが、ふとしたことからイシュ・ポシェトと不仲になり、なんとダビデの側に寝返ったのです。アブネルはヘブロンにいたダビデを訪問し、ダビデはアブネルを歓迎して祝宴を開きました。ことを聞きつけたダビデの家臣ヨアブはアブネルを疑い、岐路についていたアブネルを追いかけ、殺してしまったのです。
 
 将軍のアブネルを失ったイスラエルは力を失い、王のイシュ・ポテトは暗殺されてしまいました。将軍も失い、王も失ったイスラエルの諸部族は、これ以上ダビデと争うのは無理と考えたのでしょう、ダビデの配下に入ることを決め、ダビデに油を注いでイスラエルの王としたのです。それが今日の聖書個所に書き記されていること、ダビデがイスラエルとユダの全土の王となったこと、いわばダビデが天下統一を成したことです。
 
 この後もダビデは王権を確立するために多くの労力をさきました。休む間もなく多くの敵と戦いました。ダビデはエブス人が住んでいた要害のエルサレムを攻め取りましたが、その戦いにおいてエブス人の挑発に怒り、目の見えない者、足の悪い者を殺せと、非人道的な行いをさせるということがありました。
 イスラエル・ユダを統一した王になったダビデは、エブス人から奪ったエルサレムを統一した王国の首都にしました。エルサレムはシオンの丘の上にある要害ですから、城としての要件を備えていました。ダビデはエルサレムに神の箱を運び上げました。エルサレムを政治的、軍事的な中心地とするだけでなく、宗教的な中心地にもすることによってダビデ政権を堅実にしたのです。
 
 ダビデの生涯のほとんどは戦いの日々でした。そのことについて、2代目の王となったソロモンは「父ダビデは、主が周囲の敵を彼の足の下に置かれるまで戦いに明け暮れ、その神なる主の御名のために神殿を建てることができませんでした。」(列王上5:17)と言っています。確かにサムエル記に書かれているダビデの物語は戦いの日々です。サウルに仕えていたころはペリシテなど外敵との戦いがあり、また主君サウルとの戦いもありました。王になるときにも、王になってからもイスラエル・ユダ統一王国建設のために戦わなくてはなりませんでした。ダビデは残酷なこともたくさんしています。サムエル記を読んでいると、正直なところ嫌になりさえします。読み続けるのがつらくなることもあります。なぜ聖書にこれほど残酷な戦い、醜い争いなどを記しているのかと疑問に思うこともしばしばです。
 
 ダビデが王となってからも、近隣諸国、部族、他民族との戦いが止むことはありませんでしたが、それでもダビデが直接戦場に出ることは少なくなりました。そのようなときに、バト・シェバ事件が起こったのです。忠実な兵士であるウリヤの妻バト・シェバに一目ぼれし、こともあろうにバト・シェバを宮殿に召し入れてバト・シェバと関係を強要し、妊娠させてしまったのです。それが発覚しないようにと偽装工作をし、ウリヤを最も危険な戦場に出して戦死させたのです。戦士と見せかけた殺人でした。ダビデは王となって権力を持ち、いつの間にか権力の奴隷となってしまい、自分の行いをチェックできなくなっていたのです。このことを知った預言者ナタンがダビデを叱責しました。ナタンから叱責されたダビデは自分が犯した罪の大きさに驚き、罪を告白し、悔い改めたのです。
 
 ここまで紹介してきたダビデの実像は、決して褒められた存在ではないと思います。権力争いを行い、権力を握ってからは権力の奴隷になってやって良いことと悪いことの区別がつかなくなっていました。
 ところが、ダビデには人気がありました。死後も人気者でした。いまでもイスラエルの人々から愛されています。イスラエルの国旗のデザインはダビデの星と呼ばれる六角形の星です。エルサレムはダビデの町と呼ばれています。イエス様はベツレヘムでお生まれになりましたが、父親のヨセフがダビデ家の人だったので人口調査のためにダビデの出身地ベツレヘムに来ていたのです。イエス様がエルサレム来られた時、群衆は「ダビデの子にホサナ」と口々に叫んでお迎えしました。なぜダビデはこれほど人々から慕われていたのでしょうか。
 
 今日の聖書の最後の4節によると、ダビデは40年間王位にいました。一般に長く王位にいたということは、有能な王であったということです。ダビデの王としての統率力、軍事的指導力、経済政策などにおいてイスラエルとユダに安定と繫栄をもたらせたでしょう。この世的に見れば、実に優秀な王でした。しかし、この世的な評価によるのでは、聖書的にどうなのでしょうか。神様の目にはどのような王と移っていたのでしょうか。列王記を読むと、長く王位にいて国を安定させて繁栄させた王でも、主の目に悪とされたとマイナス評価を受けている王が沢山いるのです。
 
 わたしは、なぜダビデがこのように人々から親しまれ、人気があるのか不思議でした。いまだに疑問を覚えながらも、いくつかの点で考えられることがあります。
 
 1つは、ダビデは自分が王になりたくて王になったのではなく、サムエルを通じて神様が王としてお選びになったことです。ダビデはその生涯のほとんどを戦いで過ごして来ましたが、それは自分の利益や名声のためでなく、神様から選ばれて王となった者としての働き、神様のため、イスラエル・ユダの人々のための働きでした。一般的な王たち、日本の殿様たちは、自分の力でのし上がって王や殿様になりますが、ダビデは神様が自分を選び、自分を用いておられるという信仰で働いていたのです。
 また、さんざん自分を苦しめたサウルに対しても、その死を悼み、サウルの子ヨナタン、イシュ・ポシェトの死を悼み、サウル家で生き残った手足の不自由なメフィポシェトをエルサレムに住まわせ、一緒に食事をするなど、篤くもてなしました。
 
 もう1つは、悔い改める姿勢です。ダビデは王になってから、権力ボケとでもいうのでしょうかやって良いことと悪いことの区別がつかなくなってしまい、バト・シェバ事件という大きな過ちを犯しましたが、預言者ナタンに叱責されるとすぐに過ちを認め、悔い改めました。
 最近の日本の政治家の不祥事にはあきれ返ります。不祥事が発覚すると逃げ回り、みっともない言い訳をし、開きなおることさえあります。いくら経済の発展に貢献したとしても、神の目から悪とされる政治家が多いことにがっかりし、日本の将来に不安を覚えます。しかし、その問題はわたし自身の中にもあることに気付きます。逃げたくなることもあり、言い訳をします。
 わたしたちはだれでも間違いをします。王でも大臣でも議員でも普通の人でも間違いをします。問題は、間違いに気づいたとき、気づかされた時、過ちを認め、悔い、改めることができるか否かです。そのことをわたしたちは神様から問われているのです。
 
 神様から選ばれた者として神様のために働くこと。犯した過ちに気付いたとき、素直に過ちを認め悔い改めること。少なくともこの点について、今日の聖書から。自分がダビデを批判できる立場にない、むしろダビデから学ばなくてはならないと思わされました。