2022年6月19日 大胆に神の言葉を語る 吉岡喜人牧師

(要約)十字架で殺され、復活した主イエスがわたしたちの救い主であることを大胆に語ったペトロは、捕らえられ、裁判にかけられました。そこでもペトロは大胆に主イエスの福音を語ったのです。

(説教本文)使徒言行録4章13~31節

先週の日曜日は花の日でした。例年ですとこの日の礼拝は「大人と子ども共に守る礼拝」として幼子から歳を重ねたものまでが一つの礼拝に集い、花を持ち寄り、日曜学校の生徒たちが近隣の高齢者施設や病院などに花を届ける日でした。残念ながらコロナ感染のため、3年もの間できないでいます。早く花の日の訪問ができるようにと祈っています。
フィッシャー幼稚園は、いろいろと検討して、今年は年長すみれ組と年中つばめ組がシルバー人材センターに折り紙で作った花を届けることにしました。コロナ感染が起こらないように、シルバー人材センターの方々に防災公園に来ていただきました。天候を心配しましたが、幸い当日は雨が降らず、シルバー人材センターから10数名の方が来てくださり、子どもたちが作った折り紙の花を笑顔で受け取ってくださいました。子どもたちと高齢者の方々の交流の場には愛が溢れ、とても暖かい雰囲気に包まれました。年少りす組は内科と歯科の検診に来てくださったお医者さんに花をプレゼントしました。

今日の聖書にも老人が登場しています。4章22節「このしるしによっていやしていただいた人は、40歳を過ぎていた。」40歳で老人!と思われるかもしれませんが、聖書の時代、平均寿命が40歳くらいでしたので、40歳は十分に老人でした。

この人は生まれたときから足に障がいがあり、立ち上がることも歩くこともできない人でした。この人は毎日「美しい門」と呼ばれるエルサレム神殿の入り口に連れて来てもらい、人々に施しを乞い、なんとか生きていました。ある日、ペトロとヨハネが祈るために神殿の境内に入ろうとすると、この人がペトロとヨハネに声をかけて施しを乞いました。ペトロとヨハネは立ち止まって、この人の目をじっと見つめました。この人は何かもらえそうだと期待して二人を見つめていました。ところが与えられたのは「わたしにお金はない」という言葉でした。期待外れの言葉にこの人はがっかりしたでしょう。ペトロは続けて「金はないが、わたしたちが持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」と言い、その人の手を取って立ち上がらせたのです。するとたちまちこの人の足がしっかりとして立ち上がり、歩き出したのです。そして歩き回ったり踊ったりして神を賛美しながらペトロとヨハネについて神殿に入っていったのです。ペトロとヨハネによって起こされたいやしの奇跡を目の当たりにした人々は、非常に驚きました。驚く人々に向かってペトロは力強く、アブラハムから始めて神の救いの業を語り、イエス・キリストの福音を語りました。ペトロのあまりにも素晴らしく力に満ちた説教に人々は聞き入っていました。

そこに何事かと神殿の祭司、守衛長、そしてサドカイ派の人々がやってきました。彼らはペトロとヨハネが人々に主イエス・キリストの復活のことを語っている言葉を聞き、二人を捕らえ、牢獄に放り込みました。

翌日、議員、長老、律法学者、それに祭司たちによって、二人の裁判が始まりました。大祭司が尋問しました。おまえは何の権威によって、また誰の名によってイエスが復活したなどと語ったのか。この尋問には毒がもられていました。答えによっては二人を死刑にすることもできる質問でした。

ペトロは聖霊に満たされて語り出しました。この人の足がいやされたのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活されたナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。ペトロは詩編を引用して、主イエス・キリストが「あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石」であり、神から遣わされた救い主であることを大胆に語ったのです。
聞いていた議員たちは二人がガリラヤから来た無学なものであるのに学問を修めた者のように、また大胆に語ったことに驚きました。そして二人がイエスの弟子であることも分かったのです。

話を聞いていた議員たちは知らないでしょうが、わたしたちはペトロが主イエスの裁判の時、主イエスを3度も知らないと否定し、最後は自分を守るために呪いの言葉まで口にして、主イエスを見捨てて逃げてしまったことを知っています。あのペトロが、今、エルサレムの神殿で、しかも自分たちを陥れようとしている議員や祭司たちに向かって大胆に語っているのです。主イエスに起こった出来事の意味を語り、また救いは主イエス・キリストにあると語っているのです。ペトロはどこからこのような勇気と語る力を与えられたのでしょう。そうです。聖霊です。語り始める前、ペトロは聖霊に満たされていました。ペンテコステ、聖霊降臨日に降った聖霊がペトロたちと共にいらしてくださり、奇跡を起こし、大胆に語らせているのです。ペトロが語っているのではなく、聖霊がペトロに語らせているのです。

おおよそ神の言葉を語る行為、説教は、聖霊の働きなくして語ることができません。いくら神学校で学んでも、人は神を語ることができません。今皆さんの前で語っているわたしにも聖霊の力が働いています。聖霊が働けば、たとえガリラヤ出身の無学なペトロたちでも、主イエス・キリストが救い主であることを大胆に人々に語ることができるのです。ペトロの話は人々の心を震わせ、次々と教会に加わりました。聖霊は説教を聞く者にも働くのです。

さて、議員、祭司長たちは、ペトロの説教に何の反論もできないでいました。ペトロの横には、昨日足をいやしていただいた人が立っていました。その人が主イエス・キリストの名によって立ち上がったことを誰も否定することはできません。事実を否定すれば、彼らの権威が地に落ちます。そこで、議員たちはペトロとヨハネに、これ以上主イエスの名によって話をしないようにと命令し、二人を去らせようとしました。しかし、二人は言いました。「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前において正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」このペトロとヨハネの言葉を聞いて議員たちは怒りました。しかし、神を賛美する民衆を恐れて、さらに強く主イエスを語らないようにと脅してから釈放したのです。圧倒的な聖霊の力の前で、彼らは脅すことしかできなかったのです。

釈放された二人は、キリスト者の仲間のところに戻り、一部始終を話しました。二人の話を聞いた信徒たちは、心を一つにして主を賛美しました。信徒たちはペトロたちのために祈りました。「主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕が、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。」この祈りに神は応えてくださり、信徒たちは聖霊に満たされて大胆に神の言葉を語りました。

さて週報にも書かれているように今週6月24日は日本基督教団の創立記念日です。日本が戦争へ戦争へと向かっていた1940年、キリスト教各派を合同しようという機運が高まり、教会合同有志懇談会が開かれました。懇談会はキリスト教各派による自主的な運動という形をとっていましたが、実際は政府の宗教政策によるもので、キリスト教を戦争に反対させないこと、むしろ協力させることが目的でした。1941年6月24日から25日にかけて富士見町教会にキリスト教の34教派が集まり、日本基督教団設立総会が開かれました。設立された日本基督教団は宗教団体法によって文部大臣の監督下に置かれ、教団に参加しない教会は、容赦なく弾圧されました。戦争が激しくなると「全国一斉必勝祈願の祈祷会」を行うよう指示を出したり、献金を募って戦闘機を陸軍に寄贈したりと、戦争遂行に協力したのです。

今の日本で主イエス・キリストの復活を語っても、牢獄に入れられることはありませんが、戦時下の日本では、キリスト教は活動を制限され、また弾圧されました。実際にこの時代に牧師をしていた方から聞いた話ですが、礼拝には治安維持法によって政治犯罪を取り締まる特別高等警察の刑事が監視していて、説教などで少しでも戦争に反対するようなことが話されると注意され、あるいは説教を中止されたそうです。今日の聖書個所でペトロたちが語ったように「神に従わないであなた方に従うことが、神の前に正しいかどうか、」などと言えば、逮捕され、拷問を受けました。ホーリネス教会では大胆に神を語った134人もの牧師が検挙され、4名が獄中死しています。また、多くの教会が活動を休止させられました。大胆に神を語ることが困難な時代でした。

「大胆に」と訳された聖書の言葉は、ほかに「自信をもって」「確信して」などの意味を持つ言葉です。日本のキリスト教は信徒の減少が続いています。しかし真理が廃れることはありません。キリスト教の伝道は牧師たけが行うことではなく、信徒一人一人が行うものです。自分が救いに与った喜びを大胆に、確信をもって語るとき、その言葉は真理の言葉となって人の魂を震わせます。聖霊が語らせてくださる、そのことを信じて、神の言葉をみんなで大胆に語りましょう。