2022年6月5日 聖霊の賜物 吉岡喜人牧師

(要約)主イエスが送ると約束してくださった聖霊が降臨しました。驚くようなことが伴いましたが、全てに意味がありました。ヨットが風を受けて前に進むように、私たちは聖霊という風を受けて前に進みます。聖霊がいつも一緒にいてくださることはすばらしいことです。

(説教本文)使徒言行録2章1~11節
 
 私たちが信じる神は、父なる神、子なるキリスト、聖霊の3つの位格がある三位一体の神です。位格という言葉はあまり使われない言葉ですが、辞書には「地位と格式、他者に対して区別される主体、人に対しては「人格」と言う、と書かれていました。少しわかったようなまだわからないような感じもします。まあ、あまり難しく考えずに、天地を創造した父なる神、その子であるイエス・キリスト、そして聖霊は一つの神であると単純に理解しましょう。

 私たちは礼拝の中で使徒信条を唱和することによって、父、子、聖霊なる三位一体の神を信じます、と自分たちの信仰の基を確認します。今日もしました。
 
 使徒信条では、聖霊に対して、「われは聖霊を信ず。」と簡素に信仰を告白します。信仰告白文は使徒信条にもいくつかありますが、ニケア信条という信仰告白文では、「聖霊は主、いのちの与え主であり、父から出て、父と子と共に礼拝され、共に栄光を帰せられます。そして預言者によって語られました。」と唱えます。

 主イエスは生前、しばらくすると自分は父なる神の元へ帰る、しかし案ずることはない。あなたがたを守る弁護者として、永遠にあなたがたと共にいる聖霊を送っていただくよう父にお願いしよう、と言われました。(ヨハネによる福音書14章15節以下、同16章5節以下)その実現が聖霊降臨であることをニケア信条は唱えているのです。さらに、主イエスより前の時代の預言者が聖霊降臨を語っているとも言っています。その一人、ヨエルという預言者は「わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。」(ヨエル書3:1)と聖霊降臨を預言しています。

 預言者によって預言され、主イエスが約束された聖霊の降臨が、主イエスの復活後50日目に実現しました。それが聖霊降臨日・ペンテコステに起こった出来事です。天に上げられた主イエスの執り成しにより、神が聖霊送ってくださったのです。神は、独り子イエスをこの世に送り出してくださいましたが、今度は聖霊を送り出してくださったのです。

 その日は五旬祭あるいは七週祭と呼ばれていた収穫感謝の祭の日でした。主イエスの弟子たちは五旬祭の礼拝をするためにエルサレムのある家に集まっていました。すると突然、ゴーゴーと激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが集まっていた家中に響いたのです。彼らは驚き、恐れました。さらに驚いたことに、炎のようなものが現れ、何人かの弟子たち一人一人の上にとどまったのです。よく見るとそれは舌でした。すると、その弟子たちは皆、口々に何かを話し出したのですが、そこにいた人たちには何を言っているのか全くわかりません。語っている弟子たちの声が一つになって大きな音になり、外にまで響きました。この日はユダヤ教の大切な祭りである五旬祭でしたから、外国で生活しているユダヤ人もたくさんエルサレムに来ていました。彼らは大きな音を聞いて、何事が起ったのかと弟子たちがいる家に集まってきました。見ると、人々が夢中で何かを語っています。何かを語っているのだろうかと耳を傾けると、なんと自分が住んでいる国の言葉が聞こえて来るではないですか。パルティアに住んでいる人は、ある弟子の口からパルティアの言葉が聞こえてきました。メディアから来た人には、別の弟子の口からメディアの言葉が聞こえてきました。語っている弟子たちは、皆、ガリラヤ出身で外国に住んだこともないのに、いろいろな国の言葉で話しているのです。一体何を話しているのだろうかと耳を傾けると、なんとそれは神を賛美する言葉でした。弟子たちが一つのこと、神を賛美する言葉を、世界各地の言葉で語っていたのです。それは彼らの上にとどまっている舌のように見える聖霊が語らせていたのです。
 
 これが五旬節の日に起きた出来事、聖霊の降臨です。
聖霊降臨の出来事に出会った弟子たちは初め、何が起こったのかわからず、驚き、恐れました。弟子たちには少し厳しい言葉かもしれませんが、彼らは知っていたはずです。生前、イエス様がなんどか彼らに話していたのですから。しかし、いつ、どのような形で聖霊が来るのかまでは知らなかったのでしょう。突然、しかも激しい形で聖霊が来たので、驚いてしまったのも無理はないでしょう。

 さて、この驚くべき、不思議な聖霊降臨のエピソードについて、いくつか注目しておきたいことがあります。

 まず音と風です。聖霊が降臨したとき、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえました。それが家中に響きました。これは、神が顕現されるときに起こることです。
 モーセが神から呼び出されてシナイ山に登った時のことが出エジプト記に書かれています。
 「三日目の朝になると、雷鳴と稲妻と厚い雲が山に臨み、角笛の音が鋭く鳴り響いたので、宿営にいた民は皆、震えた」(出エジプト19:16)
 預言者エリヤが神に呼び出されてホレブ山に登った時にも同様のことが起こりました。
 「主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。・・・風の後に地震が起こった。・・・地震の後に火が起こった。」(列王上19:11-12)
 大きな音、激しい風、神様がお出でになる時はこのようなことが起こるのです。風のことをヘブル語では「ルアッハ」ギリシャ語では「プネウマ」と言いますが、ルアッハにもプネウマにも風という意味のほか、霊という意味もあります。ですから「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ」という使徒言行録の記述は、聖霊なる神が現れたということなのです。
 その音は彼らがいた家中に響いた、とあります。家は世界という意味に使われることもありますから、聖霊の到来が世界に知らされたということです。
 
 炎は神の存在、神の栄光を表しています。エジプトを出たイスラエルの民を神は、昼は雲の柱、夜は火の柱によって導いてくださいました。(出エジプト13:21-22)
 
 弟子たち一人一人の上にとどまった炎のような舌、舌は言葉を表しています。英語でも舌を意味するtongueには言語の意味もあります。弟子たちの上で炎のように熱く激しく動く舌によって、弟子たちは熱く激しくいろいろな国の言葉で神を賛美したのです。
 
 聖霊の舌によって語られた諸国の言葉は、何をいっているのか誰にもわかりませんでしたが、外国に住むユダヤ人たちによって、それぞれの言葉で神を賛美していることがわかりました。違う言葉なのに、言葉が一つとなったのです。
 創世記に書かれているバベルの塔の物語を思い出してください。バベルの塔が造られる前、世界の人々は同じ言葉を使って、同じように話していました。人は神に届くまで高い塔を作ろうとしましたが、神はそれを許さず、人々を世界中に散らされ、言葉を混乱させました。言葉は人と人をつなぎます。言葉が混乱したとは、人々の心が離れ離れになって通じなくなったということです。
 それが、今、聖霊によって通じるようになった。違う言葉でも分かり合えるようになったのです。神を信じる者たちの心が通じ合い、一つとなった。散らされた神の民が、今、一つの神の民として集められたのです。ここに神の救いの歴史の大きな転換点を見ることができるのです。
 
 さて、聖霊の降臨はいまから2000年ほど昔の出来事です。聖霊の風を受けた弟子たちは、聖霊の風の力を受けて、福音の伝道に世界中に出ていきました。その道は決して平らな道ではなく、むしろでこぼこで曲がりくねり、危険をいくつも通らなければならない道でした。ユダヤ人から迫害を受け、ローマ帝国からも迫害を受け、殉教した伝道者たちも数多くいます。それでも彼らは聖霊の風を受け、聖霊の風の力によって福音伝道を推し進めました。福音伝道はどのようなことがあっても止まることはありませんでした。このようにして私たちも主イエスに出会い、福音を知らされ、救いの道を歩んでいるのです。
 
 かつて小さなヨットで太平洋を独りぼっちで渡った堀江健一さんが、83歳になって再挑戦し、昨日、太平洋単独航海に成功して日本に帰ってきました。わたしたちも同じように聖霊の風を受けて進む福音丸という船に乗っています。福音丸の目的地は天国です。福音丸は大きな船ですからどんなにたくさんの人が乗っても大丈夫です。どんなに嵐が来ても、沈みません。福音丸は聖霊なる神様が水先案内をしてくださっているからです。
 
 聖霊がいつも一緒にいてくださる。なんとすばらしいことでしょう。私たちを守り、私たちに前に進む力を与えてくださる聖霊を送り出してくださった神様に、また、わたしたちのために聖霊を送り出すよう神様に執り成してくださったイエス様に感謝しましょう。