2022年7月31日 恵みの時、救いの時 吉岡喜人牧師

(要約)福音伝道、教会の設立などの業は神様の業であって、わたしたちは神様の協力者であること、この理解はとても大切です。神様からいただく恵みに感謝し、恵みを無駄にせず、神様の御用のために使いましょう。

(説教本文)コリントの信徒への手紙二6章1~10節

 7月も今日で終わりになりますが、教会にとって、また私にとっても、7月は怒涛のような1か月でした。
 
 まずは教会・幼稚園の建築です。5月末ごろ、建物の姿が見えだすと、図面の上では気が付かなかったことや思っていたことと異なることがいろいろと見えてきて、いろいろな声が上がるようになりました。これでは使いにくいなとか、これは危ないなとか、えっ!こんな風になるの、思っていたのと違う!などなどの声です。声は教会・幼稚園の中からだけでなく、近隣からも出てきました。どのような建築でも、完成に近づくと必ず出てくる声ですが、これから長く使う建物なのですから、今、声を出すことは必要です。それにしても個人の住宅と違って教会・幼稚園の建物は大きく、関係者も多いということで、声の数も声の大きさも想像以上でした。それぞれの声に対して何らかの処置が必要です。自宅の建築であれば、家族で話せばよいのですが、教会・幼稚園では多くの人たちとの話し合いが必要です。対処に追われる日々が続きました。(今も続いています)
 
 次に引越しです。1回目を7月13日、2回目を20日と決め、それに合わせて準備を行いましたが、まあ、しなければならないことが山ほどありました。引越しの準備は大量の物の移動だけでなく、電力、電話、上下水道、ガスなどの引越しも行わなければなりません。単純な引越しではなく、引っ越した後の建物をすぐに解体するので、契約の廃止やメーターの取り外し、配管の切断などもしなくてはなりません。電力、ガス、電話など、それぞれの会社との連絡に追われました。建築委員会をはじめ、建築に深く携わって来た方々のご苦労を覚え、感謝します。
 引越しそのものは、周到な準備をしたおかげで、実にスムースで、13日も20日も予定より早めに引越し業者の作業を終えることができました。
 引っ越しはしましたが、建物はまだ完成したわけではありませんでした。ほぼ毎日何らかの工事が行われて来ました。6月末に仮使用できるようになる、と聞いていたので、建物は完成するが外回りができていない状態と理解していました。実際は、6月末になっても建物は完成していませんでした。建物はまだ完成していないけれど、仮に使ってもよいということだったのです。エレベータはいまだに使えませんし、エアコンも完全には動いていません。
 
 加えて個人的なことですが、96歳の母が7月2日に緊急入院して7月4日に手術を受けるという予想外の出来事もありました。また、長引くウクライナのことなど国際社会の不安定さも心を重くしています。これらの中、文字通り怒涛のような1か月を過ごして来ました。
 
 今日の聖書、コリントの信徒への手紙を書いたパウロも怒涛のような日々を送っていました。パウロの福音伝道者としての全期間が、怒涛の中だったといってもよいのではないでしょうか。そのことは使徒言行録に詳しく書かれていますが、パウロの福音伝道者としての日々は迫害などの連続でした。今日与えられた聖書個所には、怒涛の中での福音伝道をパウロがどのようにして行ったのかが書かれています。どのようにというのはテクニックのことではなく、どのような姿勢で怒涛に向かったのかということです。このことはパウロが実体験したことであり、わたしたちキリスト者の生き方に力強い示唆を与えてくれるものです。そのような視点で、今日の聖書のみ言葉に耳を傾け、怒涛に向かう力、生きる力をわたしたちに与えていただきましょう。
 今日は与えられた聖書のみ言葉から、わたしたちは神の協力者であること、そして、神様からいただいた恵みを無駄にしないで大切に使う、という2つのことを聖書から聞きましょう。
 
6章1節「わたしたちはまた、神の協力者としてあなたがたに勧めます。」
パウロは、自分を含めて福音伝道に携わっている者を「神の協力者」と呼んでいます。福音伝道を誰が行うのか、だれが福音伝道のリーダーなのかというと、それは神様です。復活したイエス・キリストが先頭に立って福音伝道者を導いていると言ってもよいし、聖霊が福音伝道者に風を送って前に進む力を与えているといってもよいでしょう。三位一体の神様が福音伝道を行うのであって、自分たちはその協力者なのだということ、この理解はとても大切です。
 福音伝道に限らず、どんなことでも一生懸命に力を注いで行うと、自分が立役者であるような思いになるものです。政治家などにはそのような人が多いと思うのですが、福音伝道に携わっている者でも、ついそういう思いに捕らわれることがあるのです。自分はそれほど思っていなくても、周囲の人たちに持ち上げられると、自分の業績であるような気持になってしまうことがあるのです。ドイツの神学者のボンヘッファーという人が残した言葉の中に、「成功する教会は、正直言って、とても信じる教会とは言えない」という言葉があります。信徒の数が増えた、広い土地を買って大きな礼拝堂を建てた、そのための献金もたくさん集めた、伝道が成功した、ということを誇るならば、その教会は本当の教会とは言えないというのです。ボンヘッファーはまた、「教会を建てるのは、人間ではなく、キリストのみである。それゆえ、教会を建てようとする者は、間違いなくすでに教会の破壊作業に従事しているのである。」とも言っています。人の力で教会を建てようとすることは思い上がりで、信仰的ではない、というのです。福音伝道、その成果としてできる教会、礼拝するための会堂の建築はすべて神様のなさること、イエス・キリストがなされること、聖霊の業であって、わたしたち信徒は神様の協力者なのです。

 パウロは自分が神の協力者であることに大きな喜びを覚えて、コリントの教会の人々に「神からいただいた恵みを無駄にしないように」と勧めています。2節の言葉はイザヤ書(49章8節)からの引用ですが、原文は「わたしは恵みの時にあなたに与え、救いの日にあなたを助けた。」です。わたしたちは、この地上で生きて行く上で、神様から多くの恵みをいただいています。救いの手を差しのべてくださっています。その恵み、救いに気が付かないことも多いのですが、そうすると恵みを無駄にしているかも知れないのです。わたしたちが地上で生活していることはすべてが恵みなのです。全ての恵みに感謝して、恵みを無駄にしない、しっかり用いようとパウロは勧めているのです。

 主イエスの語られたたとえ話に、タラントのたとえがあります。ある人が旅に出ることになりました。自分が留守の間これで商売をしなさいと言って、僕の一人に5タラント、もう一人に2タラント、もう一人には1タラントのお金を預けました。旅から帰ると、5タラントを預かった僕は5タラント儲け、2タラントを預かった者は5タラント儲けていました。主人はこの2人を良い僕だとほめました。しかし1タラントを預かった僕は、預かったお金を隠してなにもしませんでした。主人は、怠け者の悪い僕だといってその僕を叱った、というたとえ話です。ご存じの方も多いでしょう。神様がわたしたちにくださる恵みにはいろいろな恵みがあります。たくさんの恵みをいただく人も、少しの恵みをいただく人もいます。恵みは神様から預けられるものなのですから、それを神様のために用いることが神の民の務めです。たとえ少ない恵みでもそれを用いれば、神様は喜び、良い僕だと言ってくださいます。しかし、これっぽっちの恵みか、といって何もしなければ、恵みを無駄にすることになり、神様を悲しませ、怠け者と言われてしまうでしょう。ひとりひとり神から恵みをいただいています。恵みにはいろいろありますが、すべての恵みに感謝し、無駄にせず、神様の栄光を現しましょう。

 さて、パウロは心を尽くし、力を尽くして福音伝道に邁進しました。しかし、福音伝道は困難の連続でした。怒涛の中を進む小さな船のように揺れ動き、沈みそうになりました。4節に書かれているように、苦難、欠乏、行き詰まり、鞭打ち、監禁、暴動、労苦、不眠、飢餓、などあらゆる困難が次から次へと押し寄せてきました。使徒言行録を読むと、これらのことが具体的に次々と出てきます。誠意をもって行動しても悪評を浴びせられ、誤解され、捕らえられて鞭打たれたこともあり、暴徒に殺されそうになったこともあります。復活したイエス・キリストの福音などと言って人を欺いているのだとも言われたこともあります。しかし、どんな状況になっても、純真、知識、寛容、親切、聖霊、偽りのない愛、真理の言葉、神の力によって福音伝道を続けたのです。どんなに困難があっても福音伝道、神の協力者になることは、大きな喜びだったのです。

 さて皆さん、今日のパウロの話を聞いてどのように思われたでしょうか。パウロはすごいな、と思われたでしょうか。パウロはすごいが、自分はそこまではできないと思われたでしょうか。パウロは確かにすごいです。わたしはその足元にも及びません。だからといって、何もしないのでは、タラントのたとえの1タラントを預けられた人になってしまいます。

 福音伝道は信徒一人一人に神様が下さった恵みへの感謝の応答です。恵みを無駄にしてはいけません。謙遜は日本人の美徳ですが、謙遜に隠れてなにもしないのでは、神様をがっかりさせてしまいます。わたしたち一人一人は小さくても福音伝道者です。主イエス・キリストと出会い、恵みを受け、救われた者です。その喜びを人に伝えるとき、わたしたちにはさらに大きな喜びが与えられます。神様は福音伝道を行う力を恵みとしてくださいます。1タラントを使って、1タラントを増やし、神様を喜ばせましょう。神様からいただいた恵みを神様のために使う、それが恵みを無駄にしないということになるのです。