2018年1月21日 弟子を招き続ける主
(要約)
イエス・キリストは、神の国を実現する働きのために多くの仲間を集めましたが、メンバーには不正を働いていた取税人もおり、キリスト者を迫害していたサウロすら選ばれたのです。そして今も仲間を集められているのです。
(説教本文)使徒言行録9章1~11節
主イエスは、人口調査の登録のために訪問していたユダヤのベツレヘムでお生まれになりました。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。」という東の国から来た学者たちの言葉に、王の座を奪われはしないかと恐怖をいだいたヘロデ王は、主イエスを探し出して殺そうとしました。そのことを天使から知らされたヨセフとマリアは、幼子を連れて大急ぎでエジプトに逃避しました。その直後、ヘロデ王はベツレヘムとその周辺にいる2歳以下の男の子を一人残らず殺させたのです。家畜小屋で生まれ、かろうじて虐殺の手から逃れるという大変な人生のスタートを切った主イエスは、エルサレムから遠く離れたガリラヤのナザレ村で育ちました。ナザレは貧しい村でした。そのナザレ村の中でも最も貧しい木工職人の子として、主イエスは幼い日を送られました。聖書には、12歳の主イエスが両親と共にエルサレムに巡礼したことが書かれていますが(ルカ2:41以下)、その後は、父ヨセフのことが書かれていません。ヨセフは主イエスがまだ少年の時に死んだとも考えられています。とすれば、ますます家計は火の車になり、主イエスは父ヨセフの仕事を継いで木工職人として、母マリアと兄弟たちの生活を支えたことでしょう。この時代、10歳を過ぎたら職業に就くのは普通であったと考えられますから、主イエスが働いて家族の生活を支えるのは当然であったとは言え、まだ少年の主イエスは相当な苦労を味わわなければならなかったでしょう。
弟たちが成長して働くようになり、貧しくとも生活ができるようになったからでしょうか、主イエスは聖書を学ぶようになりました。イザヤ書などの預言書をよく学ばれたようです。聖書を学ぶには先生が必要ですが、先生として考えられる人は、洗礼者ヨハネです。ヨハネは、都会から離れた荒れ野で隠遁生活をしながら多くの弟子に聖書を教えていました。主イエスもヨハネの弟子になったと思われます。
やがて主イエスはヨハネの元を離れて、神の国を宣べ伝える者となりました。その時主イエスは、決して一人でなさろうとはせず、弟子を集めたのです。聖書では弟子となっていますが、わたしは弟子であるより仲間であったように思えます。仕事仲間を集めるときはその仕事に役に立つ人を集めます。しかし、主イエスの人集めはちょっと変わっていました。かなり広い範囲から人を集めたのです。しかもちょっと疑問に思うような人たちを集めたのです。
主イエスはまず漁師から仲間を集めました。ペトロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネが仲間になりました。なぜ漁師を神の国を宣べ伝えるための仲間として選んだのでしょう。彼らが聖書をよく知っていたからでしょうか。この時代の漁師であれば、まず字は読めなかったでしょうし、先生について聖書を学んだとも思えません。
次に主イエスはマタイあるいはレビという名の人を仲間に加えました。この人は税を集める仕事をしていました。当時の収税人は、決められた額以上の税金を取り立てて私腹を肥やすことを当たり前に行うため、人々からは嫌われ、罪人とされていました。なぜ主イエスは不正を行って私腹を肥やしているような取税人を仲間に選んでしょうか。
熱心党のシモンと呼ばれた人も仲間に選びました。この人は武力によって腐敗しているヘロデ政権を倒そう、ローマを追い出そうと意気込んでいる人でした。シモンはいつも剣を身に着けており、主イエスが捕らえられたときも、剣を抜いて捕らえに来た役人を切りつけました。このような乱暴者ともいえる人をなぜ主イエスは仲間にしたのでしょうか。
さらに、イスカリオテのユダも仲間に加えました。イスカリオテのユダは、主イエスの宣教活動の会計係をしていました。計算ができ、字の読み書きができるということですから、高等教育を受け、社会的にもそれなりの地位にあった人と考えられます。しかしイスカリオテのユダは、お金のために主イエスを裏切り、お金によって自分の身を滅ぼしてしまいました。なぜこのような人を主イエスは仲間にしたのでしょうか。
ユダヤ教の指導者たち、祭司、レビ人、律法学者などは、高度な専門教育を受けた人々でした。一方、主イエスの仲間たちは、漁師、収税人、革命家などであり、常識的にはとても神のために働く人ではありませんでした。しかし主イエスは、これらの人々をあえて神の国を宣べ伝える働きの仲間としてお選びになったのです。主イエスは、この不思議な仲間たちとともにユダヤの町や村を巡り歩き、神の国を宣べ伝えました。また彼らを遠くの町や村に派遣して、神の国を宣べ伝えました。主イエスの仲間たちは、ときどき主イエスを悩ませ、時には怒らせ、悲しませました。天の国への一番乗りを争ったり、主イエスの話を聞きに来た子どもを邪魔者にしたりして、主イエスからたしなめられました。剣を抜いて人を傷つけ、主イエスにたしなめられた人もいました。主イエスが十字架の話を仲間にしたとき、ペトロは話の邪魔をして主イエスからサタンと呼ばれるほど叱られました。イスカリオテのユダは主イエスを銀貨で売り、最後には捕らえられた主イエスを見捨てて全員逃げてしまいました。このような仲間でしたが、主イエスは仲間を愛し、神の国の伝道者として訓練されたのです。
しかし、主イエスは神の国を宣べ伝えて人々を救いに導くという大切な仕事の最中に、十字架によってご活動を終えることになりました。主イエスの死によって仲間たちは希望を失ってバラバラになりました。しかし、仲間たちは復活した主イエスに会い、新しい希望の力を得て、また一つとなって神の国、福音を世界へと伝える者となりました。主イエスの仲間たちは熱心に主イエスの福音、神が救い主メシアとして主イエスを世に遣わされたこと、主イエスを信じて、神の国を待ち望もうという呼びかけ、多くの人が主イエスを信じるようになり、救われました。
使徒言行録は、主イエスの仲間たちの福音伝道を伝えていますが、福音伝道のリーダーは主イエスご自身でした。主イエスは、遠くから仲間たちに声援を送ると言うやり方ではなく、仲間たちと一緒に福音伝道に巡り歩かれたのです。しかも復活された主イエスは、さらに仲間を増やされたのです。
サウロという青年がいました。ユダヤ教の中でも最も熱心といわれたファリサイ派の信徒でした。サウロという名は、イスラエルの初代の王サウルと同じです。由緒あるサウル王の名前を付けられたこの青年は、ガマリエルという高名な先生について律法を学んだバリバリのファリサイ派ユダヤ教徒でした。ユダヤ教徒は、主イエスが、自分は神から遣わされた者だと言い、神を父と呼ぶことに大きな反感をもっていました。イエスという奴は神を冒涜する者でけしからん、という訳です。主イエスが十字架に掛けられたのも、ファリサイ派の主イエスへの憎しみが大きな力になっていました。ファリサイ派の青年リーダーであったサウロは、主イエスを信じる者を捕らえて牢獄に送っていました。彼らはユダヤ教の大祭司のお墨付きで、私的な宗教警察の働きをしていたのです。
話はちょっと横道にそれますが、わたしが仕事で滞在したことのあるアラブの国には宗教警察があって、イスラム法に違反する者を捕らえて牢獄に送っていました。警察官の制服ではなく、普通のアラビア服を着て、市場など町を歩きまわり、市民から聞き取りを行ってイスラム法に違反する者を捕らえるのです。断食の時間に飲食をする、酒を飲む、女性のノースリーブや短いスカート、そのような行為をする者を捕らえるのです。外国人であるわたしたちはうっかりそのようなことをすると逮捕され牢獄に送られるので、十分に注意するように言われていました。
サウロたちに捕らえられた人たちのなかには、死刑にされた人もいました。キリスト教徒からみればサウロはとんでもない迫害者であり、キリスト教徒はサウロを恐れていました。ダマスコにキリスト者がたくさんいるという情報を得たサウロは、キリスト者を一網打尽にしようと意気込んでダマスコに向かいました。 ダマスコへ向かう道で、サウロは突然強い光を浴び、目が見えなくなり、地に倒れました。すると天から声がしたのです。「サウル、サウル、なぜ、私を迫害するのか」。サウロが「あなたはどなたですか」と尋ねると、「わたしはあなたが迫害しているイエスである」というではありませんか。サウロは驚くと同時に恐怖に襲われたでしょう。イエスの亡霊だ!地獄に引き込まれる! しかし主イエスはサウロにダマスコに行きなさいと言われたのです。
ダマスコにはアナニアという主イエスが選んだ仲間がいました。主イエスはアナニアに言われました。サウロを訪ね、サウロを祝福しなさい。アナニアはサウロという名前を聞いて驚きました。主よ、とんでもないことです。あの迫害者のサウロでしょう。あの人はわたしたちの仲間のキリスト者を捕らえて牢獄に送っているのです。今も私たちを捕らえるためにダマスコに来るのではありませんか。そのような者に会いに行き、しかも祝福しなさいと言われるのですか。
アナニアの驚きは当然のことです。悪評高いサウロがダマスコに来ている、それだけでも大変なことです。ダマスコに住むキリスト者に知らせて逃げなくてはなりません。それなのに、主イエスはサウロに会いに行き、サウロを祝福しなさいと言われるのです。抵抗するアナニアに主は言われました。いいからサウロに会いに行きなさい。あの者は私が仲間として選んだ者なのだから。
主イエスは福音宣教のために多くの仲間を選ばれました。その誰一人として、常識的には福音宣教者にふさわしいと思われる人はいませんでした。それどころか、主イエスを裏切ることになるイスカリオテのユダも、キリスト者を迫害するリーダーであったサウロも福音宣教の仲間に加えられたのです。これが主イエスの選びなのです。
主イエスは、今も生きておられます。主イエスは、わたしたちに福音宣教の仲間・弟子になりなさいと招いておられるのです。主イエスは、特別な人をお選びになるのではありません。普通の人、罪に汚れた人をお選びになるのです。ミッション・バラバという宣教団体があります。メンバーは元ヤクザたちです。犯罪を犯し、刑務所経験者たちです。彼らも主イエスから招かれました。主イエスは、ありとあらゆる人から仲間をお選びになるのです。神の前に正しい人は一人もいないのです。
復活した主イエスは言われました。「すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授けなさい。」わたしたちが洗礼を受けてキリスト者になったということは、主イエスの仲間になったと言うことです。ありがたいこと、嬉しいことです。主イエスの仲間、弟子にしていただいたことに感謝して、喜びつつ、主イエスと共に歩み続けましょう。