2018年5月20日聖霊降臨日 強く、雄々しくあれ
主イエスを失い、失望と不安の中にいた弟子たちには聖霊が降り、弟子たちは力を得て世界に主イエス・キリストの福音を伝えました。聖霊なる神は、いつもわたしたちと共にいてくださいます。
(説教本文)ヨシュア記1-19節 使徒言行録2章1-11節
今日は聖霊降臨日・ペンテコステの日です。主イエスは、復活から 40日目に天に昇り、神の元にお帰りになりました。そこから、主イエスは地上の世界に聖霊を送ってくださいました。神には、父なる神、子なるキリスト、聖霊という3つの姿、あるいは形があります。聞きなれない言葉かも知れませんが、これを神の3つの位格とも言います。3つの位格をもつ神を一つの神として信じる、三位一体の神を信じること、これがキリスト信仰です。
さて、聖霊降臨は、主イエスの復活から50日目のこと、ユダヤ教の暦で50日目の祭り・ペンテコステと呼ばれる日に起こりました。
この日、集まっていた弟子たちの上に神の霊、聖霊が降りました。聖霊は炎のようであり、舌のようであり、激しい風のような大音響の中に現れて、いくつにも分かれて集まっていた人々一人一人の上にとどまりました。すると人々はいろいろな国の言葉で話始めました。よく聞いてみると彼らが語っていたのはすべて一つのこと、神が世の人を救うために独り子イエスをこの世に送り、十字架につけ、復活させられた、という神の偉大な業のことでした。一つのことを世界中の国の言葉で語っていたのです。人々は聖霊に満たされ、力を得て、世界中に主イエスの福音、すなわち主イエスによる救いを宣べ伝え、教会を建てたのです。ここにキリスト教が誕生したのです。聖霊の不思議な働きでした。
聖霊が人の上に降ったのは、この聖霊降臨日だけではありませんでした。イスラエルの2代目王となり、今日までも偉大な王として尊敬されているダビデにも神の霊がしばしば降ったと旧約聖書に書かれていますし、預言者たちにも聖霊が降ったことが聖書に書かれています。モーセの後継者となったヨシュアも聖霊を受けた一人でした。
ヨシュアは、申命記の最後34章9節に突然登場します。神の命令に従ってイスラエルをエジプトから導き出し、荒れ野を40年にわたって旅したモーセは、約束の地カナンを目の前にして、その役割を終え、天に召されました。モーセは死の直前に、モーセの従者であったヨシュアを後継者として選び、ヨシュアの頭に手を置きました。これは按手といって、神に仕える者を任命するときに行う儀式です。わたしも多くの先輩牧師たちから按手を受けて牧師になりました。按手を受けたヨシュアは、「知恵の霊に満ちていた。」と申命記は記しています。知恵は神から来るものですから、知恵の霊とは、神の霊のことです。
モーセの後継者となってイスラエルを導くことになったヨシュアでしたが、不安でいっぱいだったのではないでしょうか。なぜならモーセがあまりにも偉大な指導者だったからです。神からの信頼が篤く、神に直接会い、神の言葉を直接聞くことが許されていました。強大な権力のエジプト王ファラオと粘り強く交渉し、イスラエルの民を率いて40年にわたる荒れ野の旅を導いたのです。その間に多くの出来事があり、困難の連続でしたが、モーセはそれを乗り切ってきたのです。このような偉大なモーセに対して申命記は「イスラエルには、再びモーセのような預言者は現れなかった。」と書いています。ヨシュアは思ったでしょう。「モーセに比べれば自分は弱く、小さな存在だ。モーセほどの指導力はなく、また、神からの信頼もどれほどのものであろうか。果たしてイスラエルをまとめ、約束の地に導くことができるだろうか。イスラエルの人々は、自分を指導者として認め、ついて来てくれるだろうか。」ヨシュアは多くの不安の中にあったことでしょう。
ヨシュアほどではありませんが、わたしも同様の不安を覚えたことがなんどもあります。そのひとつですが、以前話したことがあると思います。わたしが30歳そこそこで、サウジアラビアのプロジェクトの責任者に就かされてしまったのです。日本からコンテナクレーンをサウジアラビアの港まで船で運び、現地で荷揚げし、設置工事をするというプロジェクトです。コンテナクレーンは一基が数億円で、それが4基もあります。現地の設置工事は、オランダの会社を下請け会社として使うのです。会社からはわたし一人だけ。それほど多くの経験がある訳でもないのに、プロジェクトの責任者として行ってこいといわれたのです。日本で準備作業をしているときは、会社の人に相談もできましたし、実際の作業を行う業者も慣れていました。しかし、サウジアラビアの現場は、電話もないところです。誰にも相談できず、すべて自分で判断しなければなりません。交渉は英語でしなけらばなりません。最大のピンチは、コンテナクレーンを乗せた船が日本から到着し、荷揚げをするときでした。いよいよ荷揚げという時、風が吹きはじめ、海が荒れてきたのです。現地のヨーロッパ人の工事監督に相談しようとしたら、お前が責任者なのだから、お前が判断しろ、自分たちはそれに従う、というのです。風が吹き、波が高くなれば、大きな事故につながりかねません。しかし、今日やらなけらば、スケジュールが遅れます。重大な判断をするのに相談する人がいない。うろたえました。大きな恐れ、大きな不安を覚えました。よく覚えています。
モーセの後を継ぎ、これから目の前にあるヨルダン川を渡って、いよいよ約束の地、カナンに入る。何が待ち構えているかわからない。妨害する人たちがいるかもしれない。ヨルダン川を渡った途端に襲われるかもしれまい。多くの困難が待ち構えているだろう。イスラエルの人々は一つになってくれるだろうか。わたしの指示に従ってくれるだろうか。
大きな不安を覚えているヨシュアに対して神は言われました。「わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。」神に見放される、神から見捨てられる。これほど大きな不安はありません。しかし、神は、見放すことも見捨てることもない、共にいると明言してくださったのです。ヨシュアにとって大きな慰めの言葉、励ましの言葉だったでしょう。神は、モーセと共にいてくださったように、わたしと共にいてくださる!私を見放すことも、見捨てることもないと言ってくださった。ヨシュアは喜びました。安心しました。さらに神は言ってくださいました。「何があってもうろたえな、困難に出会ってもおののくな。強く、雄々しくあれ。」
「強く、雄々しくあれ」 なぜならば、神が共にいてくださるからです。聖霊なる神が、わたしたちと共にいてくださるからです。神が共にいてくださるのですから、恐れることはありません。どんなことにもうろたえたり、おののくことはないのです。これが聖霊の力です。
話は、ヨシュアの時代から、再び、使徒言行録の時代に飛びます。
五旬節・ペンテコステの日、弟子たちは不安の中でエルサレムのある人の家に集まっていました。主イエスが復活して、いつまでも共にいてくださると思っていたのに、以前のように主イエスと共に神の国のために働けると思っていたのに、主イエスは天に挙げられてしまったのです。天を見つめていた弟子たちに、天使が告げました。「なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」天使の言葉は、いつ実現するのだろうか。いつになったら主イエスは戻って来てくださるのだろうか。迫害者たちに襲われないだろうか。不安の中で集まっていた弟子たちの上に、突然聖霊が降ったのです。
この時、弟子たちの目には聖霊の姿が見えました。後に彼らはこの時のことをそれぞれの教会で篤く語ったのです。聖書から与えられたインスピレーションで再現してみると、「わたしたちが集まって祈っていた時のことだ。突然、大風のような大きな音が家中に響いたのだよ。恐ろしかったよ。すると、炎のような舌が、分かれ分かれに現れて、わたしたちひとりひとりの上にとどまったのだよ。すると私たちは聖霊に満たされて、それぞれが自分の知らない言葉で神様を賛美する言葉をしゃべり出したんだ。いろいろな国の言葉だったが、言っていることは皆同じことだった。神様は、イエス様をわたしたちの救いのために送ってくださり、わたしたちの罪をお赦しになるためにイエス様を十字架におかけになり、3日後に復活させられた。その神様の偉大な業をいろいろな国の言葉で語ったのだよ。自分で口を動かしている感じはなかった。聖霊がわたしたちの舌を動かしていたのだ。わたしたちの上にとどまっていたあの舌が、わたしの舌となって語ったのだよ。」
聖霊が降り、弟子たちは不安が取り除かれました。主イエスが、今は聖霊としてわたしたちと共にいてくださる。わたしたちは見放されたのではなかった。神はわたしたちをお見捨てにはならなかった。もうわたしたちは恐れない。何があっても、うろたえない。おののかない。強く、雄々しく、主イエスを世界の人々に伝えよう。」
このようにして、主イエスの弟子たちは雄々しく世界に出て行きました。しかし、その道は困難の連続でした。命に危険もありました。ユダヤ人たちから、またローマ帝国から迫害を受けました。多くの伝道者が命を落としました。それでも、人々は神の偉大な業、イエス・キリストの福音を世界に伝え続けました。神は主イエスをこの世に送り出し、わたしたちの罪を赦すために主イエスを十字架におかけになりました。しかし、主イエスは復活されて神と共におられ、聖霊をわたしたちの上に送ってくださいました。聖霊なる神様はわたしたちといつも共にいてくださいます。主イエス・キリストは真の救い主です。主イエス・キリストを信じましょう。信じて救われましょう。聖霊降臨によってキリスト教が生まれて以来、主イエス・キリストを救い主と信じ、主イエス・キリストの道を歩んで数多の人々が救われました。聖霊なる神は、いつもわたしたちと共にいてくださいます。今、この時もわたしたちと主におられます。聖霊なる神に守られ、導かれ、恐れおののくことなく、強く、雄々しく主の道を歩みましょう。