2018年5月6日 正しい十人のために

邪悪なソドムを滅ぼすために、神は使いを送りました。アブラハムは、ソドムにいるであろう正しい人のためにソドムを滅ぼさないよう懇願しました。神は、わたしたちの執り成しの祈りを聞いてくださいます。

(説教本文) 創世記18章23節~33節
「初めに神は天地を創造された。」という言葉によって始まる創世記は、旧約聖書の最初の書であるだけでなく、新旧約聖書を通して最初の書です。六日間で地球を含む宇宙のあらゆる星を作り、地球の上にあらゆる動物と植物を作り、最後に土から人間を造られたという神の天地創造物語をそのまま事実として受け入れることは、科学の知識をもっている現代人には難しいことです。
 科学的な説明によれば、宇宙は約138億年前に、いわゆるビッグバンと言われる大爆発から始まりました。原子ができ、原子が集まって分子ができ、分子が集まって宇宙のチリとなり、チリが集まって星となっていきました。数知れない宇宙の星の一つである地球は、46億年前に誕生しました。40億年前にはアメーバーのような原始的な生命が誕生し、植物が発生し、6憶年前には様々な生物が海の中に発生しました。海の生物の一部が陸に這い上がり、3憶年前には昆虫が生まれ、2億5千万年まえに恐竜が出現。6千万年前に哺乳類が生まれ、2千500万年前に人の祖先が生まれました。わたしたちは、ホモ・サピエンスという種類の動物ですが、ホモ・サピエンスが現れたのが20万年ほど前、10万年前にはホモ・サピエンスが世界に広がりました。日本には2万年ごろからホモ・サピエンスが住むようになったようです。これが科学による天地創造の物語で、理論や実験、発掘などによって得られる証拠があります。
 
 科学が説明する宇宙や地球の創造物語が事実とすると、聖書に書かれた創造物語は、嘘、あるいは単なる作り話なのでしょうか。科学技術が急速に進んだ19世紀末から20世紀のキリスト教が大いに悩んだ時代がありました。
 答えは、聖書に書かれた天地創造物語は、事実ではありませんが、嘘でもありません。確かに作り話ですが、単なる作り話ではありません。深い意味をもった創作の物語です。創世記が創作された物語によってわたしたちに伝えようとしていることは、神様と人間のかかわりがどのようなものであるかということです。神と人間のかかわりあいをわかりやすい物語にしているのです。例えば、なぜ人は(あらゆる生物は)男と女に作られているのか、人は他の動物と何が違うのか、なぜ人は苦労して働かなければならなくなったのか、などを神様と人間との係わりとして説明しているのです。実際にあった出来事をもとに、神様と人との関係を説明するために物語もあります。ノアの洪水物語、バベルの塔などがそうでしょう。旧約聖書の物語は、次第に事実に基づいた記述になり、ダビデ王、ソロモン王などは歴史上に実在した人物ですが、記述の視点は歴史的事実の記述ではなく、神と人との係わりです。
 さて、今日の登場人物のアブラハムは、アダムとエバのように象徴的に描かれた創作された人物なのか、それとも実在の人物なのか、微妙なところです。しかし、それはともかく、アブラハムという人物の物語を通して、神様が人間とどのように係られたのかという聖書の視点で書かれた物語であるということで、一貫しています。
 
 物語は、18章初め、3人の旅人がアブラハムのテントに立ち寄ったことから始まります。この3人は神の使い、天使でした。アブラハムのテントの近くを通りかかったようにして、実はアブラハムを訪問して、神の言葉を伝えることが目的でした。彼らはアブラハムの妻のサラに子どもが生まれることを伝えますが、既に年老いて子どもを産める年齢を過ぎていたサラは、神の使いの言葉に笑いをこらえきれず、苦笑してしまいました。サラの笑い声を聞いた神の使いは、サラに向かって厳しく言いました。「なぜ笑ったのか。主に不可能なことがあろうか。」
 
 そのようなことがあってから、3人の神の使いはソドムの街を見下ろす所に行きました。アブラハムも彼らを見送るために一緒に行きました。アブラハムは、サラの笑いが彼らを怒らせてしまったので、そのことへの執り成しの意味もあったのではないでしょうか。また、ソドムに住んでいる甥のロトのことが気になったのではないでしょうか。ソドムを見下ろす場所で神の使いはアブラハムを祝福し、アブラハムの家は大きな強い国民となり、世界の全ての国民はアブラハムによって祝福に入れられると預言したのです。そして、子孫に至るまで主の道を守り、主に従って正義を行うようにと命じられたのです。アブラハムは大いに喜んだことでしょう。また、サラのことで恐縮していたのに、サラから生まれる子どもから子孫が増え、アブラハムの家は大きく強くなると神から祝福されたのですから、喜びもひとしおだったでしょう。
 
 喜んでいるアブラハムに、神の使いは、眼下に見えるソドムとその隣町のゴモラを見ながら、アブラハムに、「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい。」と言いました。ソドムはヨルダン川沿いにあり、豊かな土地でした。豊かさは人の心を豊かにもしますが、過ぎた豊かさは人の心を荒廃させます。ソドムでは豊かさゆえに支配者の心が荒廃し、邪悪なことが横行していたようです。具体的にどのようなことが行われていたのかは聖書には書かれていませんが、支配者たちが人々を搾取して富を築いていたのではないかと思います。不正がはびこり、人々は支配者の抑圧に苦しんでいました。人々はこのような苦しみからの解放を求めて神に祈ったのです。その祈りの声は神に届き、神は御使いを派遣してその実情を調べさせたのです。「わたしは降って行き、彼らの行跡が、果たして、わたしに届いたとおりかどうか見て確かめよう。」
 この言葉から、アブラハムは神が邪悪な町ソドムを滅ぼそうとしていることに気づきました。ソドムから邪悪なこと、邪悪なことを行う人が取り除かれることは必要なことだとアブラハムは思ったでしょう。しかし、ソドムには神の言葉に従って生きている正しい人も何人かはいるはずだ。あるいは悔い改める人もいるはずだ。その人たちを含め神は一括してソドムを滅ぼしてしまおうとされるのか。アブラハムは納得がいきませんでした。神が邪悪な者を滅ぼすことはわかるが、だからといって、正しい者までが滅ぼされるのは納得できない。アブラハムは、神の人に、質問しました。もし、ソドムに50人正しい人がいるとしても、神はその人々もろともソドムを滅ぼされるのですか。神は正義を行うのではないのですか。50人の正しい人を悪人と共に滅ぼすなど、あってはいけないことです。むしろ、正しい50人のためにソドムを赦す、それが神の正義というものではないのですか。アブラハムの質問に対して神は答えて言われました。「もし、正しい者が50人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう。」ソドムに正しい者が50人いるかどうか、アブラハムは知りません。アブラハムは、もし50人に5人少なければ、ソドムは滅ぼされるのかと尋ねると主は、45人いれば滅ぼさないと神は言われます。アブラハムはさらに、もし正しい人が40だったら、さらに30人だったらと神に問いますが、そのたびに神は、その人々のためにソドムを滅ぼさないと言われるのです。アブラハムは、神が怒り出すのではないかと恐れながらも、20人ではどうですか、そしてとうとう10人しかいないかも知れませんが、その人数ではソドムを滅ぼしますか、と聞き続け、ソドムに10人の正しい人がいれば、ソドムを滅ぼさないという言葉を神から得たのです。そこまで言うと神は去って行かれました。
 
 邪悪な者を滅ぼし、正しい人を救う、神はノアの洪水物語でもこのことを行われました。神はノアを正しい人と認め、ノアとノアの家族だけを洪水の滅びから救い、邪悪な人々を滅ぼされました。アブラハムは邪悪な者は滅びるべきであるが、そのために正しい者までが滅びることはおかしい、それは神の正義に反する、と神に向かって主張したのです。このことはアブラハムにとって大変に勇気の要ることだったと思います。なぜならアブラハムは正面切って神の計画に異議を唱えているからです。神はアブラハムの異議を一蹴してソドムを滅ぼすことがお出来になります。しかし、神はアブラハムの主張を真剣に聞いてくださり、しかも、ソドムに正しい人が10人いるならば、その10人のために、ソドムを滅ぼさない、ソドムを赦すと言われるのです。アブラハムは文字通り必死にソドムのために執り成しをしました。
 
 なぜアブラハムはそこまでしてソドムのために執り成しをしたのでしょうか。一つの理由として考えられるのは、ソドムには甥のロトと家族が住んでいたからです。ロトを何とか救いたいと願う叔父の心が、勇気を与え、神に執り成しを願うことになったのでしょう。
 しかし、それだけではないと思います。アブラハムは、ソドムの人々が悔い改める機会を作って欲しかったのではないでしょうか。いきなり滅ぼすのではなく、ソドムの人々に警告を与えれば、もしかすると10人の人たちが悔い改めるか可能性があります。アブラハムは神から与えられた祝福を自分のものだけにしておくのではなく、全世界の人々が神の祝福に入ることができるよう、必死の思いで邪悪な町ソドムのために神に執り成しをしたのではないでしょうか。
 
 しかし、結局ソドムは滅ぼされてしまいました。正しい人が10人もいなかったのです。誰一人、悔い改める者がいなかったのです。ロトと家族は神の導きでソドムの町から逃れました。ロトたちがソドムを出た後、ソドムの上に天から硫黄の火が降り、隣町のゴモラも含め、全住民が焼き滅ぼされてしまいました。硫黄の火が天から降ったと書かれていますから、おそらく近くの火山が爆発して、ソドムもゴモラも溶岩や高熱の火山灰に焼かれ、埋もれてしまったのでしょう。ベスヴィオ火山の噴火で埋もれたイタリアのポンペイの町のようなことが起こったのでしょう。神は、アブラハムの求めに応じて、ぎりぎりまでソドムを救おうとされました。しかし、結局ソドムは邪悪なまま、神によって滅ぼされたのです。神は言われます。なぜこのようなことをするか。それは、正しく神を知るためであると。神にここまでさせてしまう私たちの罪を思うと、身が震える思いがします。
 
 最後に、もしアブラハムがさらに正しい人の人数を下げて、正しい人が1人でも滅ぼすのですか、と神に尋ねたら、神はなんとお答になったでしょうか。神は、その1人のために滅ぼさない、すべてを赦すといわれたのではないでしょうか。しかし、どの時代にも、本当に正しい人は一人も現れませんでした。数千年後、ひとりの正しい人が現れ、世を救いに導きました。完全に正しいただ一人の人、イエス・キリストによって神は全世界を赦してくださったのです。イエス・キリストは、今も世界の人々のために、神に救いを執り成して下っておられるのです。