2025年10月5日 ユーオーディア 吉岡喜人協力牧師
(要約)神に倣う(キリストに倣う)、愛よって歩む、感謝を表す。キリスト者としての生き方が示されています。キリストを十字架によりいけにえとされました。それは良い香り・ユーオーディアとなって、私たちの間に漂うのです。
(説教本文)エフェソの信徒への手紙 5章1節~5節
わたしたち人間が生きて行く上、あるいは社会生活をする上で大切なことを数語で言い表す標語とでもいうべき言葉があります。アメリカの16代大統領となったエイブラハム・リンカーンが民主主義政治の本質を3つの言葉で言い表した言葉「人民の、人民による、人民のための政治」は、誰もが知っているのではないでしょうか。今でも学校の教科書に載っているのでしょうか。
わたしが高校1年生の時、東京オリンピックが開催されました。先の東京オリンピック、1964年のことです。当時、都内の高校生は学校を通じてチケットが入手でき、わたしは代々木の国立競技場に陸上競技を見に行きました。競技場の電光掲示板には、オリンピックの精神を表す標語として「キティウス、アルティウス、フォルティウス」という言葉が書かれており、「より速く、より高く、より強く」を意味すると日本語の説明が添えられていました。
このように、3つ程度の短い言葉にまとめることによって、大切なことを覚えやすくなります。同じようにキリスト教の大切な教えを3つ程度の言葉にしたものがいくつかありますが、皆さんはどのような言葉を思い浮かべるでしょうか。
コリントの信徒への手紙一の13章に書かれている「信仰、希望、愛」はどうでしょうか。しおり、カレンダーなどにもよく用いられていますし、墓地に行くと、この言葉が刻まれているキリスト者の墓石をよく目にします。
「道、真理、命」も墓石によく用いられている言葉ですね。日本聖書神学校の礼拝堂の説教台、聖餐卓、司会台にも「道、真理、命」がギリシャ語で刻まれています。もし行く機会があったら読んでみてください。ヨハネによる福音書14章6節の「わたしは道であり、真理であり、命である。」を短くしたものですが、しおりなどにはそのまま用いていることもあります。
もうひとつ、「忍耐、練達、希望」はどうでしょうか。ローマの信徒への手紙5章4節ですが、わたしの大好きな言葉の一つです。新型コロナのときは、学校が閉鎖され、教会でも礼拝に集まれないなど、わたしたちの行動が制限され、辛い思いをしましたね。わたしも何度も週報などで「忍耐、練達、希望」を呼びかけました。わたしたちは「忍耐、練達、希望」によってどれほど励まされたことでしょう。
さて、今日の聖書個所でも、わたしたちキリスト者の行動に対する勧めの言葉を、3つの言葉で表してみましょう。「神に倣う、愛によって歩む、感謝する」です。
まず5章1節で「あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。」と勧められています。
見えない神に倣うと言われても、具体的にどうすればよいかわかりませんね。ここは、「神の思いに倣う」と解釈すればよいと思います。神はわたしたちを愛してくださっています。わたしたちも神を愛しましょう、との呼びかけ、勧めです。とてもシンプルですね。わたしたちが具体的に行う行動としては「キリストに倣う」と言い換えてはどうでしょうか。人生の歩みの中で、こういうときはどうすればよいかを考える必要がある時が多々ありますが、そのようなとき、イエス・キリストならどうされるだろうかと考えるのです。聖書の中に具体的な答えが見つかることもありますが、見つからないこともあります。そのようなときのために書かれた書物、キリスト者の生き方を具体的に指し示す本として「キリストに倣いて・イミタチオ・クリスティ」という本があります。中世の15世紀ごろに書かれた本で、第二の聖書と呼ばれるほどの本として多くの人々に読まれてきました。日本でも土桃山時代にはローマ字で書いた日本語訳が読まれていたそうです。
さて、2つ目の「愛よって歩む」ですが、最初の神に倣う、キリストに倣うことの具体化が、愛に生きること、愛によって歩むことです。イエス・キリストが神の国から地上に降りて来られたのは、神の愛をわたしたちに伝えることと言ってもよいかと思います。わたしたち一人ひとりが神に愛されていることを知る時、神の愛を感じる時、わたしたちは幸せになります。救われます。神が示された愛の中で最高の愛が、イエス・キリストの十字架です。わたしたちを愛する神は、イエス・キリストの十字架の死によって私たちを救うという愛をお示しになったのです。
聖書は十字架のイエス・キリストを「香りのよい供え物」と言っています。ユダヤ教の時代の礼拝は、いけにえの動物を祭壇で焼き、肉が焼けるよい香りを神に献げることでした。イエス・キリストは、ご自身をいけにえとして神に献げてくださったのです。ご自身を神に献げる良い香りとなってくださったのです。
わたしたちを愛して、わたしたちの救いのために十字架の死によってご自身を神への良い香りの献げ物としてくださったイエス・キリスト、そのイエス・キリストに倣うことがわたしたちキリスト者の生き方ですが、わたしたちもいけにえとなって死ぬということではありません。キリストがわたしたちに代わって死んでくださったのです。むしろ私たちは生きてキリストの愛を示すのです。わたしたちがキリストに倣うということは、キリストがなさったように愛の行いをすることなのです。
ギリシャ語で善い香りのことをユーオーディアと言います。キリストがよい香りとなってくださったようにキリストに倣って生きるとは、キリストの愛に倣って生きること、わたしたちがよい香り愛の香りとなって、キリストの香り、良い香りユーオーディアを周囲に漂わせることなのです。
牧師でありチェロ奏者の井上とも子さんという方がいます。この教会でも演奏してくださったことがあるので、ご存じの方も多いでしょう。彼女が属している楽団の名前はユーオーディアです。団員全員がキリスト者です。音楽によってキリストの香り、ユーオーディアを人々の間に漂わせようという主旨でつけられた名前です。
ユーオーディアの人たちは、得意とする楽器演奏によってキリストの香りを人々の間に漂わせますが、どのような行いでも、キリストに倣った愛の行いはユーオーディアとなって人々の間に愛の香りを漂わせ、世界が愛に満ちて行くのです。愛に満ちた世界に争いは起こりません。
聖書は愛によって歩むことを、聖なる者にふさわしい行いをするようにと勧めています。反対に聖なる者にふさわしくない行いとして、みだらなこと、汚れたこと、貪欲なこと、卑猥な言葉、愚かな話、下品な冗談が挙げられています。わたしも、口に出してしまうことが多いので、心して行動しなければと思います。
3つめは、感謝です。言うまでもないことですが、感謝も人々の間にイエス・キリストのよい香り・ユーオーディアを漂わせます。感謝も愛の行いの一つだからです。感謝する心を持つことが大切ですが、聖書は「感謝を表しなさい」と言っています。感謝する気持ちがあっても、それが伝わらなければ、良い香り、ユーオーディアにはなりません。ユーオーディアとなって伝わるには「ありがとうございます」と口で感謝を表すのが一番よいかと思いますが、口でなくても、目、表情でも感謝を表せば、それが伝わり、良い香り・ユーオーディアが広がって行きます。感謝も愛の行いの一つだからです。
善きサマリア人のたとえ話を終えた後、主イエスは隣人とは誰かと質問した律法学者に尋ねました。「(祭司、レビ人、サマリア人の)3人の中で、だれがおいはぎに襲われた者の隣人になったと思うか。」律法学者が答えました。「その人を助けた(サマリアの)人です。」主イエスは言われました。「行ってあなたも同じようにしなさい。」(ルカ10:37) 愛するという言葉よりも、愛の業を実行することが、神に倣うこと、キリストに倣うことになるのです。
極端な分類ですが、世の中には何に対しても感謝を表す人と、何に対しても文句を言う人がいるように思えます。自分に照らして、年齢を重ねるとその違いが顕著になるようにも思います。自分がどちらになるかいささか心配ですが、普段から何事に対しても感謝の気持ちを持ち、感謝を表していることが大切なのではないでしょうか。
イエスキリストが十字架によるいけにえとして良い香り・ユーオーディアをわたしたちの間に漂わせてくださいました。イエスキリストに倣い、いつまでも神様からいただいた愛によって愛を行い、イエス・キリストのユーオーディアの中を感謝の日々を過ごすことができますように。