2025年11月9日 契約 吉岡喜人協力牧師

(要約)神は人間を神に似せてお造りになり、人間に大きな自由を与えてくださいました。しかし、自由に見合うだけの責任を人間はとれませんでした。神は人間との間に契約を結び、人間を救いへ導こうとされました。その最後の契約がイエス・キリストの十字架による契約です。

(説教本文)創世記 15章1節~18節
神が世界をお造りになったとき、神はわたしたち人間を特別な存在としてお造りになりました。それは、わたしたち人間を神の形に似せてお造りになったということです。神の形とは、外形的な形のことではありません。わたしたち人間の人格が神に近い、神格に近い人格を与えてくださったということです。神は人間をエデンの園に住まわせてくださいました。神はエデンの園ではどの木からでも食べてもよいと言われましたが、それは神が人間に自由を与えてくださったということです。自由とは、勝手気ままにすることとは違います。自由とは、自分で決めるということです。自分で決めるには責任が伴います。自由と責任は一体です。

自由を与えられた人間に神は一つだけ約束をさせました。どの木から食べてもよいが、エデンの園の中央に生えている善悪の知識の木からだけは食べてはいけない、という約束でした。この約束を守れるかどうか、責任を果たせるかどうかを神は見ておられました。残念ながら、人間は約束を守ることができませんでした。自由を与えていただいたのに、責任を果たせませんでした。この姿が、聖書が示すわたしたち人間の姿です。

約束を守れなかった人間はエデンの園、すなわち神の国から地上へと追い出されました。地上で生きて行くには、食べ物を得るために大きな苦労をしなければなりませんでした。しかし、神は人間を守り、導いてくださいました。人間を愛しておられるからです。人間には自由を与え続けてくださいました。自由を与えられている人間には責任が伴います。人間が責任を果たせるようにと神は人間との間に契約を結ばれたのです。

契約という行いは、他の動物にはできない、人間だけができる行いです。契約は約束を明確にすることですが、契約する相手を信じることができて初めて契約が成り立ちます。相手を信じられなければ、契約はできません。
このように相手を信じて結ぶのが契約ですが、一方で約束を守ることができないかもしれないという前提に立つのも契約です。
人間の社会生活の中では、いろいろ場面で契約を結びます。特に大きな契約では、契約書を作成して、いろいろなことを詳細に書きますが、契約書の最後には、もしこの契約が守れなかった場合には違約金を支払うなどの違約事項を書きます。違約事項が必要なのは、エデンの園で犯した罪、神との約束が守れなかったという人間が本質的に持っている罪、原罪の故です。

さて、今日の聖書個所にはアブラムという人物、後のアブラハムが登場します。アブラムは父のテラと共にカルディア・現在のイラクのウルというところに住んでいましたが、神の言葉に従ってウルを出て、ハランに移りました。しかし神は、ハランを出てわたしの示す地に行きなさいとアブラムに命じたのですが、行先は知らされませんでした。途中、飢饉に遭って食料に事欠き、逃れた先のエジプトでは妻のサライを奪われそうになり、甥のロトとの別れがあり、やっとの思いで着いたカナンでも周辺の部族から攻められるなど、困難苦難の連続でした。

 ある日、不安の中で過ごしていたアブラムに神が語りかけました。「恐れるな、アブラムよ。わたしはあなたの盾である。」
盾のように襲いかかる敵の前に立ちはだかって自分を守ってくださるという神の言葉にアブラムは安心し、力を得たことでしょう。さらに神は言葉を続けます。「あなたの受ける報いは非常に大きいであろう。」報い、報酬をくださるというのです。何に対する報酬でしょう。行く先もわからずにただ神を信じ、神の言葉に従ってここまで来たことに対する報酬でしょうか。何を報酬としてくださるのか、神は示されません。土地をくださるのでしょうか。しかし、アブラムには子どもがいません。たとえ土地を報酬としていただいたとしても、それを受け継ぐ者がいなければ意味がないではありませんかと、アブラムは神に不満を述べました。アブラハムはどんな報酬にもまして、子どもが欲しかったのです。

神はアブラハムを外に連れ出し、空を見上げさせました。「アブラム、星を数えられるか。」無限に輝く星を見ているアブラムに神は言われました。「お前の子孫は星の数のようになる。わたしがお前に与える報酬は、お前の子孫に受け継がれる。」
このとき、妻のサライは年老いており、子どもを設けられる年齢をはるかに過ぎていましたが、アブラムは神の言葉を信じました。しかし、アブラムは念のために尋ねました。「わたしの子孫がこの土地を受け継ぐことの証はなんでしょうか」そこで神は約束のしるしとして、アブラムとの間に契約を結ばれたのです。その契約は、わたしたちが知っている契約とは全く異なる方法で行われたのです。

 神はアブラムに契約の証となる動物を用意させました。三歳の雌の牛、三歳の雌の山羊、三歳の雄の羊、それに山鳩の親子です。山鳩以外の牛、山羊、羊を二つに切り裂いて、互いに向かい合うように置かせました。一体どのような意味をもった契約の証なのでしょう。やがて陽が沈み、辺りは真っ暗になりました。暗黒が彼に臨んだという聖書は記述していますが、アブラムの心の暗さを表した言葉です。

神の声がアブラムの耳に響きました。13節「よく覚えておくがよい、あなたの子孫は異邦人の国で寄留者となり、四百年の間奴隷として仕え、苦しめられるであろう。しかしわたしは、彼らが奴隷として仕えるその国民を裁く。その後、彼らは多くの財産を携えて脱出するであろう。」子孫たちにこれから起こるエジプトでの出来事をアブラムに語ったのです。

なぜ、神はこのようなことをアブラムに契約の場で語ったのでしょうか。そのことを考える間もなく、突然、煙を吐く炉と燃える松明が、二つに切り裂かれた動物の間を通り過ぎて行きました。

想像してみてください。牛、山羊、羊が真ん中から二つに切り開かれ置かれています。その間を、煙を吐く炉と松明が通り過ぎて行ったというのです。実に不思議な光景です。煙を吐く炉とはどのようなものでしょう。

このようなことがあってから、神はアブラムと契約を結んで「あなたの子孫にこの土地を与える。」と言われたのです。

神とアブラムの契約にかかる一連の出来事の意味をお話ししましょう。神はアブラムを守り、子どもを与え、土地を与えると約束されました。しかし、それには多くの時間と様々な出来事を経ることになる。時間とは400年ほど、その間にアブラムのひ孫の一人であるヨセフがエジプトの大臣になったのをきっかけに、アブラムの子孫たちがエジプトに住むようになり、やがて奴隷として扱われるようになり、モーセに率いられてエジプトを出るという一連の出来事がある、神が与えると約束された土地に戻って来るのはアブラムから数えて4世代目の人々だというのです。二つに切り裂かれた3匹の動物たちはエジプトで労苦する3世代を表し、山鳩の親子はカナンに戻る4世代目を表しています。相当な時間はかかる。しかし、かならず約束は守られる、契約は実行されると神はお語りになったのです。

煙を吐く炉と燃える松明、これは神がお出でになったしるしです。モーセがシナイ山で神に会った時も、シナイ山が雲に覆われて恐ろしいほどに雷鳴が鳴り響きました。新約の時代になって聖霊降臨の日も大風の様な大きな音が響きわたり、炎のように揺らめく舌が表れて人々を驚かせました。神が姿を現されるときは、いつも恐ろしいほどの激しい現象が起こるのです。

 煙を吐く炉と燃える松明という姿で神は二つに裂かれた動物の間をお通りになりました。ヘブル語の「契約を結ぶ」の直訳は「契約を切る」です。約束が守られない時は、この動物たちのように二つに切り裂かれるという契約のしるしなのです。

このようにして神はアブラムと契約を結びました。他にも神はアダム、ノア、モーセ、ダビデなどと契約を結んでいます。それは、個人の契約ではなく、それぞれが人間を代表しての契約です。どの契約も基本的には、神は人を守る、人は神に従う、ということです。しかし、どの契約も人間は守ることができませんでした。このままでは人間は滅んでしまう、そうならないようにと最後の契約、これまでにない大きな契約を神は人と結ばれました。イエス・キリストの十字架による契約です。契約者はイエス・キリストです。契約を守れなかったわたしたちのために、動物ではなく、ご自身の体を裂いて、契約を結び、完成させてくださったのです。

今、教会暦は降誕前節の中にいます。まもなくクリスマス、わたしたちにご自身の血による新しい契約を結んでくださった神の子が来られます。よい備えをしてその日を待ちましょう。