2025年4月13日 十字架の道行き 小田哲郎伝道師

(説教本文)マタイによる福音書27章32-56節

今日は礼拝堂の椅子に棕櫚の葉がついていていつもと様子が違いますが、イースターの前の週の日曜日を棕櫚の主日とか枝の主日と呼んでいます。受付で子どもたちが作った棕櫚の十字架を受け取ったと思いますが。これを来年の受難節レントまで取って置いていただき、また灰の水曜日に灰にしてマタイによる福音書では21章の始めに描かれているように、ガリラヤ地方からエリコという町を経てイエスさまと弟子たちの一行がエルサレムにやって来ました。イエスさまは弟子に言って村から子ロバを連れてこさせ、子ロバに乗ってエルサレムを囲う城壁の入り口の門の一つに向かって行きました。そのとき大勢の群衆が自分の服を道に敷いて、まるでグラミー賞のレッドカーペットのようにして、イエスさまを迎えました。そして人々は手に棕櫚あるいはナツメヤシの枝をもって「ホザナ、ホザナ 主の御名によって来られる方に祝福を!」と叫びながらイエスさまを迎えたのです。

私が11年前にイスラエルを旅行した時、テルアビブ空港に到着したその日が日曜日、棕櫚の主日でした。空港のあるテルアビブからバスでイエスさまの育った村、マリアとヨセフの出身地ナザレの教会、中東最大のカトリックの教会で聖母マリアの受胎告知教会の礼拝・ミサに出席しました。教会の門には棕櫚の枝が飾られており、着飾った子どもを連れた家族でミサに参列した後には、鼓笛隊の演奏があったり、子どもとの家族写真を撮る人たちの姿が見られました。とても明るい雰囲気で、私はそれまで棕櫚の主日と言えば「受難週の始まり」で暗い気持ちで過ごしていたのでその明るいお祝いの雰囲気に驚きました。
その後、私たちのツアーはガリラヤ地方のカファルナウムや山上の説教の丘などを巡って、エリコを通ってエルサレムに入りました。エルサレム旧市街には十字架の道行きをたどりました。ヴィアドロローサ(苦難の道)と呼ばれる14箇所の留(station)があり、ピラトの前での裁判によって死刑を宣告されたところの第1留から始まって、次がイエスさまが十字架を担わされ、5留目で今日の聖書箇所にあるキレネ人シモンがイエスの十字架を強いて担がされる。となります。各留には絵や彫刻が飾られていてそこで祈るようにうながされます。第10留目にゴルゴタの丘に着きイエスは衣服をはがされる。次にイエス十字架につけられる、となります。最後の14留が「墓に入れられる」で聖墳墓教会というイエスが埋葬された墓と言われる場所に建てられた教会にあります。こうして実際に歩きながら十字架への道行きを確認していくことは、それぞれの場面が記憶に残るものです。学生時代にもカトリックの国フィリピンで受難週を過ごしたことがあり、同じように十字架の道行きに加わりました。

今日の聖書の箇所は少し長かったのですが、スライドショーのように、あるいは十字架の道行きの留とよばれる絵のように次々と場面が変わります。
300年くらい前にJ.S.バッハが作ったマタイ受難曲を聴いていると場面の変化もよくわかります。(私はロックばかり聴いていたのでクラシックのことは詳しくないのですが、バッハだけは聴いていました。)思わず昨日はYouTubeで日本語の対訳がついているマタイ受難曲の演奏を見てしまったのですが、最初から最後までだと3時間強と非常に長いので途中の第二部から飛ばして聴きました。68曲あるうちの55曲目からが今日の箇所にあたります。福音史家エヴァンゲリストが「彼らはイエスをこのように侮辱したあげく、外套を脱がせて元の服を着せ、十字架につけるために引いて行った。外に出ると、シモンと言う名のキレネ人を見つけたので、彼を強いてイエスの十字架を負わせた」とマタイによる福音書27章31,32節歌います。次に58曲で33節を歌う前に、バスがこう挿入されています。「そうです。もちろん私たちの肉と血は、十字架に向かわなければならない。私たちの魂によいものほど、その味は苦くなる」と語り(第56曲)、「来たれ、甘い十字架よと私は喜んで言おう。私のイエスよ、いつでも与えてください! そしていつの日か私が私の苦しみの重荷に耐え切れないときに、自分自身で担えるようにお助けください」と歌います(第57曲)。これは聖書から取られた言葉ではありませんからバッハの解釈・理解です。重い十字架を背負って途中倒れながらもゴルゴダの丘に向かうイエスを目撃した者、バッハ自身の声でもあるでしょう。「私たちの魂に良いものほど、その味は苦くなる」それが一変して「来たれ、甘い十字架よと私は喜んで言おう」と苦いものが甘いものへと変えられるのです。これはゲッセマネの園での「父よ、できることならこの杯を私から取り去ってください」とイエスが祈った後にも、バスの独唱が「喜んで私は承知しよう。十字架と杯を受けることを。もちろん私は救い主にならって、それを飲もう。なぜなら彼の口は、そこから乳と蜜が流れでて、それが大地と受難と苦い辱めとを最初の一飲みで、甘くしてくれたのだから」と歌っていることとつながります。苦い杯である死の苦難が、その最初の一口であるイエスの十字架によって甘くされたのだと、旧約聖書に書かれる「乳と蜜の流れる地」という神の救いの約束が実現したのだと理解しているようです。すでにイエスさまの十字架と復活による救いを信じた者の言葉であります。この苦難さえ主は担ってくださったのだという救いの確信から来る言葉です。

そして35節から39節までの言葉を福音史家が歌うと続いて合唱が「神殿を打ち倒して三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い」と群衆の声を激しく歌います。続けて祭司長、律法学者と長老たちの言葉「他人を救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから」を歌い上げます。これは、私たちが救い主を信じる前の私たちの声です。もしかすると信じた後に悪魔の誘惑にそそのかされてしまった私たちの声かもしれません。苦難の中にあるとき、どうして神さまは私をこんな苦難に陥れるのか、神さまが全能で良い方なら信じる私を救ってくれるはずではないか。ああ、なんて役立たずな神だ。礼拝することに何の意味があるのか、イエスが救い主だなんて、騙されていた私は馬鹿だった。他に私をこの苦難から救ってくれる手立てを考えるさ。と

45節からを福音史家は「さて昼の12時に、全地は暗くなり、それが3時まで続いた。3時頃、イエスは大声で叫ばれた」と歌うと、イエスの独唱が続きます「エリ、エリ、ラマ・アザブタニ(サバクタニ)」、福音書史家が「これは『わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか』という意味である。そこにいた数人が、これを聞いて言った」。合唱が「彼はエリヤを呼んでいる」 「待て! エリアが来て、彼を助けるかどうか見ていよう」と歌った後、福音書史家が静かに「しかし、イエスはもう一度大声で叫び、そして息絶えられた」とイエスの死を告げ知らせます。

この昼の12時から午後3時までの暗闇と沈黙の後のイエスの最後の言葉、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と言う言葉は、パウロが十字架を「ユダヤ人には躓かせるもの、異邦人には愚かなものですが、召された者には神の力、神の知恵です」と言いますが、これは信じる者にとっても躓きになりうる言葉です。神の子であるイエスさまが、神が見捨てたと言う言葉を発している。あのゲッセマネの園では「できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」と苦い杯である十字架の苦難が避けられるようにと祈りつつも「父よ、わたしが飲まない限りこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心がなりますように」と神に従順であったイエスさまが、十字架の上では「なぜ私をお見捨てになったのですか」と叫んでいるのです。
この「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と言う言葉は詩編22編から来ていることは良く知られています。詩編22編(旧約852ページ)「わたしの神よ、わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになるのか。」で始まりますが、これをイエスさまは日頃から祈りとして暗唱していて、覚えていた祈りの言葉が出てきたのです。しかし、この後にも詩編は続きます。「犬どもがわたしを取り囲み、・・・わたしのからだを彼らはさらしものにして眺め、わたしの着物を分け衣を取ろうとしてくじを引く」とイエスに起こったことと同じ苦難の状況が歌われています。しかし、その後には神への祈願と、必ず助け求める者の叫びを聞いてくださるという信仰、そして神への賛美が続きます。ですから、イエスさまが神に見捨てられたと発言するわけがないと考える人は、この最後の賛美までを言うつもりであったのが、途中で息絶えたのだというのです。

しかし、そうでしょうか?本当に見捨てられたと言いたくなるような、そんな苦しみの中にあったのではないのでしょうか?私たち人間の苦しみ、死の苦しみの元である「罪」と聖書が読んでいるものを全て背負って、当時のユダヤ人だけでなく、それ以外の異邦人とよばれる外国人の、そして現代にいたるまで全人類の「罪」を何の罪もない神の子イエスが代わりに担うのですから、それは想像もできない苦しみだと思うのです。もしかすると一瞬、神の顔が見えなくなったのかもしれません。しかし、イエスさまは、あの罵った群衆、わたしたちとは違って「神なんかいない」と言っている訳ではありません。それでも「わが神、わが神」と呼びかけ、叫び求めるのです。弱さの中での祈りです。その祈りの中で息を引き取られました。イエスは死んで終わったのでしょうか?結局は、敗北したのでしょうか?

私たちは使徒信条で「十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)に降り」と唱えます。イエスさまは死んで墓にいれられて終わったのではありません。これまでも受難節の説教で話してきたように、イエスの十字架の死は敗北ではなく、死に対する勝利でした。更に死の先にある深い「罪」そのものを罰するために死者の世界、死の支配する世界にまで降って死を滅ぼしたのです。そう聖書は語っています。そのことを言い表すためにマタイは「墓が開いて眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った」と記すのです。

棕櫚の枝で歓迎されたイエスさまが5日後には十字架につけられました。私たちの人生にも、それまで順調だった人生が突然苦しみに変わってしまうことがあります。家族の喜びの集いが、大地震によって死と苦しみの世界に一変してしまうことを私たちも能登半島地震で、ミャンマー中部の大地震で見てきました。私個人の人生においても、関わった人たちの人生においても様々な苦しみを味わってきましたが、その苦しみの中にこの十字架にかけられたままのイエスさまが共にいてくださいました。この苦しみを通してこそ、十字架のイエスさまに出会い、その十字架によって救われたことを知りました。「本当にこの人イエス・キリストは神の子私の救い主だった」と言えたのです。バッハのように「甘い十字架をいつでも与えてください」とは言えない弱い信仰でしかないかもしれません。でも天の父よと呼びかけることを教えてくださった主イエス御自身が、「陰府にくだった父よ」と弱さのなかでも祈ることを教えてくれました。苦しみの絶えない世界に生きる私たちは弱さの中でこそ神の名を呼んで助けを祈り求めましょう。

バッハは十字架のイエスを見てこのように作詞しました。アルトが「見てください。イエスが、私たちを抱こうと両腕を広げている。さあ、来なさい!」と歌うと、合唱が「どこへ?」と尋ねます。アルト は「イエスの御腕の中へ、救いを求めよ。憐れみを受け入れよ。求めよ」、合唱は「どこに?」、アルトが「イエスの腕の中に。生きよ、死になさい、憩えよ」(第60曲)と。十字架上で大きく開いたイエスの腕の中に救いを求めましょう。苦しみの中でも生きましょう。主が共にいてくださるから。死にましょう、死は終わりではなく、永遠の命の入り口なのですから。生きても死んでも主の御手のなかで憩いましょう。