2025年6月8日聖霊降臨日 神が選んだ僕 吉岡喜人協力牧師

(要約)神と心が通わなくなった人間は、人間同士も心が通わず、争うようになりました。神は人間の悪い思いを止めるために、人間の言葉を通じなくしました。しかし、聖霊によって人の心は神と通じるように回復jし、人と人との心も通い合うようになったのです。

(説教本文)使徒言行録2章1節~11節

今年は昭和でいうと昭和100年になります。100年前、すなわち1925年のころがどのような時代だったかというと、ヨーロッパで起こった第一次世界大戦が1918年に終結し、二度とこのような世界大戦を起こさないように世界の国々が一つになろうと1920年に国際連盟が発足しました。日本も参加し、新渡戸稲造が事務次長に就任しました。世界中の人々が平和になることを願ってのことでしたが、世界の強国は自国の利益のためであれば他国の人のことは構わないという姿勢で植民地などの権益を拡大し、日本も負けじと植民地争奪戦に参加し、1931年には満州事変を起こし、翌年満州国を独立させて日本の支配を固めました。国際的な批判を浴びた日本は翌1933年に国連を脱退しまし、1937年には日中戦争を始めたのです。ヨーロッパでは1939年にドイツがポーランドに進撃し、第二次世界大戦になりました。1941年、日本軍はインドシナに侵攻し、その年の12月に真珠湾の米軍基地を襲撃して、日米が戦争状態となったのです。

 今、NHKテレビの朝ドラマ「あんぱん」でもちょうどこのころが時代背景になっています。次女の蘭子がやっとの思いで結婚した相手が戦死、のぶが結婚した船員の次郎が乗る船は軍の輸送船となって戦地に向かい、ついに嵩も徴兵されました。戦争に対する思いの違いから、家族の間もぎくしゃくとしています。今週はどのような展開になるのでしょうか。

 第二次世界大戦後、国際連盟よりも広く強力な国際連合が生まれました。だからと言って世界が平和になったわけではなく、戦争は世界のあちらこちらで起こりました。アメリカとソビエト連邦の二大勢力が覇権を争いながらもなんとかバランスを取り、世界大戦を起こさないできました。しかし、最近はこの状態が崩れ、第三次世界大戦という言葉が世界の政治家の口から出るようになっています。第三次世界大戦は核戦争になります。第一次、第二次世界大戦とは比べ物にならない破壊力の戦争になります。第三次世界大戦、核戦争は絶対に起こしてはなりません。

 なぜ人類はこのように争うのでしょうか。聖書ははっきりその原因、理由を示しています。人間が神との約束を破り、神との関係を絶った、人間の心が神から離れたからです。その途端、人間は争うようになりました。エバとアダムの間に生まれたカインとアベルが神へのささげ物を巡って争い、カインがアベルを殺してしまったのです。神から心が離れた人間は、人間同士の心も通わなくなってしまったのです。

 もうひとつ人の心が通わなくなった出来事を聖書が語っています。バベルの塔の物語です。この物語は、神話と言ってよいと思いますが、神話とは作り話ではなく、神の思いを人間にわかりやすい話にしたものです。
この物語は、「世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。」という書き出しから始まっています。レンガを焼いて強くするという技術を持った人々が高い塔を作ろうとします。「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう。」世界の支配者となり、神をも凌ぐ存在になろうとしたのです。しかし、神はこの企てをお許しになりませんでした。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。・・・直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」このような思いから、神は人々を全世界に散らされ、言葉を混乱させ、通じなくさせたのです。言葉が通じないことは、心が通じないとです。
 私たち人間は、神の被造物の中でも特別の存在で、神の霊を吹き込まれています。エデンの園から追われるまでは、神と人との心が通じ合い、人と人との心も通じ合っていました。しかし、神との約束を破って知恵という宝物を手に入れたが故に神との心が通わなくなり、人と人との心も通わなくなってしまったのです。

 心の通じなくなった人間は、争うようになりました。旧約聖書には人間ドラマとでもいうべきことが沢山書き記されていますが、その多くが争いです。先ほどのカインとアベルの兄弟の争い、ヤコブとエサウの双子の兄弟の争い、王サウルと家臣ダビデの争い、ダビデとゴリアトに代表されるイスラエルとペリシテの争い、列王記に記された王たちの争い、などなど。世界史も日本史も争いの歴史中心です。

人と人が争う、それは人と人との心が通じ合わないからです。そして、神の心と人の心が通じ合わないからです。

 イエス・キリストは、この断絶した神と人との関係を回復するために、神から遣わされてきました。
 イエス・キリストはわたしたち人間の罪を負い、十字架の死を遂げてくださいました。3日目に復活されたイエス・キリストは弟子たちに会い、ある約束をされました。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。」こう言い終えると、天に昇り、神の元へとお帰りになりました。

 弟子たちは待ちました。イエス様が言われた「父の約束されたもの」はいつ来るのだろうか。弟子たちはエルサレムにとどまり、集まって神を賛美し、祈り、その日を待ちました。
10日目のことです。それは五旬節の日でした。この日は春の収穫を感謝する日としてユダヤ教の大切な日でした。弟子たちがある家に集まって礼拝していると、突然大きな音、激しく吹く風のような音が天から聞こえ、家中に響き渡りました。彼らが驚いていると、今度はまるで炎のような舌が現れ、それが分かれ分かれに弟子たち一人一人の上にとどまりました。すると、弟子たちはいろいろな国の言葉で語り始めたのです。彼らはガリラヤ出身です。アラム語以外話すことができません。それなのに、一人一人がアラム語ではない何か違う言葉で話しているのです。エルサレムは国際色豊かな町でした。いろいろな国から帰って来たユダヤ人たちがいました。東はパルティア、メディア、エラムから来た人、北はメソポタミア、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフリアから来た人々、南はエジプト、リビアから来た人々、さらに西の地中海に浮かぶクレタ島、更には遠くローマから来た人々など、あらゆる国から来た人々がいました。ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もいました。彼らは炎のように動く舌の下で語る弟子たちの言葉を見て驚き、一体何を語っているのかと思って聞いていました。よく聞くと、なんとある弟子はパルティアの言葉で話し、別の弟子はメディアの言葉で話し、ある弟子は、エジプトの言葉で話しと、一人一人が外国の言葉で話しているのです。彼らは互いに目を合わせて言いました。「話をしているのは、皆、ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。」 
さらに驚いたことに、全ての弟子たち、一つのこと、神の偉大な業をほめたたえる言葉を話しているではありませんか。弟子たちは皆、世界中の言葉で、神の偉大な業を語っていたのです。神の偉大な業、それはもちろんイエス・キリストの十字架と復活です。この日まで、彼らはイエス・キリストの十字架と復活を人の前で話すことをしませんでした。もし、ユダヤ教の指導やファリサイ派に知られたら、自分たちが主イエスの弟子であることが分かり、捕らえられるからです。しかし、今、彼らはユダヤ人たちの前で、堂々と主イエスの十字架と復活、すなわち福音を語っているのです。いえ、彼らが語っているのではないのです。聖霊が彼らに語らせていたのです。

 聖霊は、神の息であり、わたしたちを押し出す力のある風です。集まっていた弟子たちの家に鳴り響いた激しい風が吹いてくるような音の正体が聖霊でした。弟子の一人一人の上にとどまった舌とは言葉でした。神の言葉が弟子の一人一人の上にとどまり、世界中の異なる言葉で一つのこと、神の偉大な業、主イエスの十字架と復活を語らせていたのです。

 エデンの園で、人間は神に背いて欲しいものを手に入れ、神との関係を絶ってしまいました。そのため神と心が通じなくなり、人と人との間でもこころが通じなくなりました、  また神は人間の悪い思いを絶つために、人間の言葉をバラバラにして、心が通じ合わないようにしました。心が通じ合わなくなった人間は争うようになりました。
しかし、聖霊が降臨し、神の力が働いて、人は異なる言葉を話していても、一つのことで心が通じ合えるようになったのです。心が通じ合うことで、人は争うことから、平和に生きる者へと変えられるのです。さらに、失われていた神との心の通じ合いが回復するのです。神との関係が回復する、すなわち救われるのです。

 わたしたちも神から選ばれた主イエスの弟子として、神の偉大な業を語りたいと思います。実は既に語っています、わたしにとってそれは主の祈りです。主の祈りは、世界中のキリスト者に共通の祈りです。どの言語で祈っていても、主の祈りはひとつです。主の祈りによってキリスト者同士の心が繋がり、神との心が繋がります。神を介して心の繋がった者たちが、平和の使者となるのです。