2025年8月10日 キリストと結ばれる 吉岡喜人協力牧師

(要約)泥亀と呼ばれていた男がいました。大酒、ばくち、喧嘩にあけくれる人生でした。しかし、大親分である神様に出会い、人生の向きを大きく変えていただき、イエス・キリスト者に従って豊かな後半生を送ったのです。

コリントの信徒への手紙二 5章14節~6章2節

 このところミーンミーンと鳴くミンミンゼミや低い声でジーとなくクマゼミなど南方系のセミの声を自宅周辺で聞くようになりました。7月30日から8月1日まで研修会のために行った軽井沢ではカナカナカナとヒグラシが鳴いていましたが、あー涼しい、という感覚は持てませんでした。年々地球の温暖化が進み、もはや温暖などという言葉ではなく地球沸騰と表現されるほどになっています。日本各地で気温が40度を超えています。かつては40度という気温はインドやパキスタンでのことでしたが、今や日本も亜熱帯どころか熱帯に分類してもよいのではないかと思うほどです。地球温暖化、いや地球沸騰も今日の聖書のテーマ、肉に従う生き方に大いに関係しています。

 今日の聖書個所のキーワードは、肉に従う生き方からキリストに従う生き方へ、神との和解、そして神の義を得る、です。どれもキリスト教信仰にとってとても大切なことですが、ある実在の人物の生き方をお話ししましょう。

 熊本に住んでいる従弟から「どろがめ」という本が送られてきました。「泥亀」と呼ばれていた人物の生涯を描いた物語です。時は大正時代、ところは大牟田です。ウタという女性が結婚しましたが、義理の父親というのがとんでもない男でした。大酒のみでばくち打ち、息子を連れては夜な夜な色町で酒を飲み、ばくちを打ち、けんかをする。ウタもなんども警察署に義理の父をもらい下げに行かなくてはなりませんでした。それでも義父は酒もばくちもけんかも男の甲斐性だと言って止めることはありませんでした。近所の人たちは泥亀と呼んで煙たがっていました。

 ある日の夕方、ウタが一人でいる所に、泥亀はどこだとわめきながら二人の男が土足のまま上がり込んできました。義父が酒屋に押し入り、酒樽をひっくり返して酒をもっていったというのです。金目の物を探しましたが、家にはなにもありません。するとウタが大事そうに抱えている風呂敷が目に留まりました。二人がウタからそれを奪うと、いくばくかの小銭が転がり落ちました。これだけか、と言いながら二人は腹いせに茶碗を割り、障子を破りと家の中を荒らしまわり、ウタの金を奪って出て行きました。ウタがコツコツと貯めた大切なお金でした。

 呆然としてウタは外に出て、どこに行くでもなく歩きました。疲れて赤煉瓦の門に寄り掛かると、大きな看板が立っていました。そこには「すべて労する者、重荷を負う者、我、汝を休ません」と書かれていました。こんなわたしを誰が休ませてくれるのだろうと思いながらも、ウタは扉を開けて中に入っていきました。中央に十字架が掛かっていました。椅子に座ると「いらっしゃいませ、どなたさんですか」という声がしました。その人は泥にまみれたウタの足を拭き、手を取って奥へ案内してくれました。出された麦茶を飲んでいると、牧師という人が来て、話を聞いてくれました。牧師も泥亀の名前は知っていました。それからウタは教会に通うようになり、二か月後に洗礼を受けました。

 泥亀は耶蘇が大嫌いでした。しかし、あるお得意様だけは別でした。キリスト者のご婦人はいつも泥亀の持ってくる魚を褒め、感謝の言葉をかけてくれるのです。お嬢さんもとても優しく、字の読めない泥亀に本を読んだり、いっしょに遊んでくれるのです。そのお嬢さんが病気で天に召されたのです。葬式に行った泥亀はびっくりしました。自分の知っている葬式とは全く違いました。お嬢様はきれいな服を着て、化粧をしていました。母親は泥亀に声をかけました。「あの子はわたしたちより一足先に天国に行きました。イエス様と一緒だから大丈夫です。」天国、イエス様と一緒、なんだそれは、と泥亀は思いました。

 ある時、泥亀はウタが聖書を持っているのに気づきました。「お前は耶蘇か、耶蘇はこの家には入れん、出て行け」とウタを追い出そうとしました。しかし、ウタは強くなっていました。「お父さんも一度教会に来てみませんか。そしたら、耶蘇のことがわかりますから。」そんなら行ってみるわいと、泥亀は売られた喧嘩を買うようにして、教会に行きました。敵陣である教会に踏み込んで、耶蘇の鼻をあかしてやろうと意気込んで教会の集会に行ったのです。集会が始まると皆が讃美歌を歌いました。歌に聞きほれていると、牧師の話が始まりました。牧師の話は、天地宇宙には大親分がいること、その大親分が天地宇宙を造られ、今も支えておられる、という話でした。それからザアカイの話をしました。集会が終わると、牧師が挨拶に来ました。泥亀は、天地宇宙の大親分の話や、ザアカイといういさぎよい男の話が気にいり、また牧師の礼儀正しい振る舞いが気に入りました。

 その日以来、泥亀は大親分のことが頭から離れなくなりました。そんなにすごい大親分なら、従ってみてもいいな、そのような気持ちで礼拝に行きました。イエス様の荒野の試みの話でした。イエスという男はなんとすごい奴なんだ、こういう男なら、誰でもついて行くだろう。次の日から、泥亀は神さまに会おうと思い、早朝に裏山に登り、神さまに話しかけました。しかし、何日経っても神様の声が聞こえません。七日目の朝は寒い朝でした。今日で終わりにしようと、寒さの中で震えながら神様を呼びました。あきらめて帰ろうとしたそのとき、「天にも地にも私は満ちているではないか」という大きな声が心に響き渡ったのです。「やはり親分はおらした!」泥亀は大喜びで家に戻り、そのまま教会に駆け込みました。「牧師はおるか!もっと大親分の話を聞かせろ、わしは大親分の第一の子分にしてもらうからな。」牧師もびっくりです。それから泥亀は聖書の話たくさん聞きました。牧師の話を聞くうちに、泥亀は自分のやってきたことが大親分の思いと違うことに気が付き、毎朝教会に通って聖書の話を聞きました。その先はどうなんだ、もっと読めと牧師に命令するのでした

 正月になりました。新年礼拝の後、聖餐式があります。ウタが、イエス様が自分の救い主であると告白し、生涯イエス様について行きますと誓って洗礼を受ければ聖餐をいただけますよと言うと、泥亀はすぐに家を飛び出して教会に行き、「牧師、大親分と固めの盃をしようと思う」と洗礼を申し出たのです。牧師が、それでは洗礼の準備をしましょうと言うと、泥亀はなんでそんなもんが必要か、そんなら頼まんといって出て行き、そのまま昔の仲間と酒を飲みに行ってしまったのです。

 泥亀はもとの泥亀に戻ってしまいました。酒に酔い、通りすがりの男に喧嘩を売ったのですが、数人にぼこぼこにされ、どぶに落ちました。泥亀は「神様、こげんみじめなわたしを助けてください!こげんわたしをどうぞ赦してください!」と叫びました。そのまま教会に行き、牧師に救いを求めました。牧師は泥亀を風呂に入れて言いました。風呂に入って体をきれいにしたように、イエス様にきれいにしていただきましょう。

 洗礼試問会は時間がかかりました。泥亀の行った数々の悪行を誰もが知っています。しかし、泥亀のゆるぎない信仰が認められ、泥亀は洗礼を受けました。最初の聖餐式で泥亀は「イエス様のお命、ありがたくちょうだいつかまつります」と叫び、泣きながらパンを食べ、杯を飲みました。洗礼式のために新調した着物は、鼻水と涙でべとべとになりました。

 あの厄介者の泥亀が耶蘇となった、人々は驚きました。悪口を言う人もたくさんいました。しかし泥亀は気にすることもなく、喧嘩を売られてもなされるがままにしました。日曜日には商売をせず、毎日聖句を暗唱し、聖書を読むためにウタから読み書きを教えてもらいました。昔、怪我をさせた人には心から詫びました。結核病棟を見舞い、監獄にいる友のために刑務所を訪問しました。戦争中は一貫して神社参拝、宮城遥拝を拒み、教会の戦争協力に反対しました。そのため特高に捕らえられ、拷問を受け、戦争が終わるまで刑務所に入れられました。戦後は焼け落ちた教会堂再建に奔走し、少年のための更生施設を建て、寮長として少年たちの更生に尽くしました。1958年8月13日、泥亀こと亀松は、祈る姿勢のまま88歳の生涯を終え、天に帰りました。

  

 説教の冒頭に今日の聖書個所のテーマは、肉に従う生き方からキリストに従う生き方へ、神との和解、そして神の義を得る、と申し上げましたが、泥亀は、酒、ばくち、喧嘩が男の生き方と信じ、親分として肉に従う人生を歩んでいました。しかし、嫁のウタを通して神様に出会い、イエス・キリストに出会い、人生を大きく方向転換させていただきました。人生の前半は、赦されない多くの罪を犯し、神様の思いの反対方向を向いた人生でしたが、神様に和解していただき、人生の後半はイエス・キリストに従って歩みました。

泥亀さんの本名は大城亀松さん、福岡県大牟田市にある大牟田正山町教会に在籍しておられた方です。孫の大城鉄也さんは南三鷹教会の礼拝にも出席し、日曜学校の奉仕をしてくださるなど、よい働きをしてくださいました。大城鉄也さんは数年前に天に召されましたが、その人生は多くの人に愛され、多くの人を愛し、主イエス・キリストに従う人生で、鉄也さんも神の義に生きた方でした。天国で亀松さんと語り合っておられることでしょう。罪を赦され、神から和解していただき、肉に従う人生を歩まずに主イエス・キリストに従う人生を歩む人生はなんと豊かで、なんとすばらしいことでしょう。