2025年8月17日 教会の成長? 小田哲郎伝道師
(要約)初代のエルサレム教会はかつての迫害者サウロと和解をし、そのことによって教会が建て上げられ成長していきました。その和解の仲介役「慰めの子」バルナバのように和解の使者として争いの多いこの世に遣わされるのがキリスト者です。
(説教本文)使徒言行録9章26-31節
私たちは8月15日に80回目の終戦の日を迎えました。私たちは日本で終戦記念日、敗戦記念日と言いますが、韓国では光復節と言います。光が復活した日、日本の植民地支配が終わって解放されたことを祝う日です。
あれは1992年だったと思います。私は8月15日をお隣の韓国ソウルで迎えました。勤め始めて名古屋に住んでいて、日本基督教団のいくつかの教会と聖公会とカトリックの中部エキュメニカル青年の集いで韓国を訪れていました。ソウルオリンピック後ですから経済は発展していましたが、まだノ・テウ大統領の軍事政権下で学生デモ隊への催涙団を経験しました。しかし何よりショッキングだったのは独立博物館で見た日本植民地下での拷問の様子を再現した蝋人形の数々、堤岩里教会事件のあった教会でその1919年の三・一独立運動のときに駐在所を襲って日本人巡査を殺したということで独立運動の首謀者をその教会に入れて火をつけ虐殺したという事件の話をはじめて聞いたことです。そしてタクシーに乗ったときに運転手に日本語で話しかけられ「あんたら日本人は何しにここに来たのか」と憎しみの感情のこもった言葉を受けたとき、まだ和解はできていないのだと実感しました。それから名古屋の教会の教会学校で毎年のように平和の旅で長崎に行った時にも強制連行された在日朝鮮人が働かされていた軍艦島と呼ばれる端島炭鉱を訪れたり、愛知や岐阜の強制連行の遺跡、長野の松代大本営の遺跡を訪れ、青年会では在日大韓教会との交流会も行いましたが、日本の過去の加害の歴史を負わされて重苦しい気持ちになったものです。
先週、夏休みをいただいて日曜日には大阪九条教会という創立旧日本福音教会で私たちの教会の創設者でもある久山峯四郎牧師が昭和6年から13年まで牧会していた教会の礼拝に出席してから、午後に生野というところにあるコリアンタウンを大学時代の友人と訪れました。かつては猪飼野と呼ばれた在日韓国・朝鮮人の街も、ちょっと怖そうで日本人はあまり近づかない所から、韓流ブーム、K-Popブームを経てすっかりコリアンタウンの人気スポートになっていました。ホルモン焼きなど焼き肉を求めて友人と行ったのですが、すっかり昔ながらの焼き肉屋は姿を消して、サムギョプル、タッカルビ、などの韓国料理レストランに変わってしまっていました。最近できた多文化共生を掲げる大阪コリアン歴史資料館の前にある「共生の碑」を見て、あの歴史を乗り越えて本当に共生が実現する時代になったのであれば良かったという思いと、ところで和解は実現したのかという思いを持ちました。
そんな気持ちを持ちながら今日与えられた聖書を読んでみると、驚きがありました。「和解」を通して教会が成長していった様子が描かれているのです。今日の聖書箇所の最後の節で「こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を恐れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった」とあります。これまでも使徒言行録で途中途中にこのようなまとめの言葉があり、2章に「こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え」(2:47)、「こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムに非常に増えた」(6:7)と、この使徒言行録のはじめに、復活のイエスが天に挙げられる前に語った「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなた方は力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまでわたしの承認となる」という言葉が実現していく様子を伝えようとするのです。
ここで「教会は平和を保ち」と書かれていることに注目したいと思います。
今日の箇所はサウロがエルサレムの教会を訪問して使徒たちに会った場面になりますが、始めてこの使徒言行録を読む方もおられるでしょうし、以前のサウロがどうであったのかがわからなければ、この「平和」の意味も理解につながらないので、このまとめの言葉が指し示す、これよりも前の箇所を要約しておきたいと思います。ところで、この「サウロ」と呼ばれているのは後に「パウロ」、「使徒パウロ」と呼ばれるこの新約聖書の約半分の分量、27文書中13がパウロの名による手紙と言われますが、それを書いた人です。サウロというのはヘブライ語の名前でパウロというのはギリシャ語での名前なのですが、サウロというのはイスラエルの初代の王と同じ名前で、パウロというのは「小さい者」という意味があります。この後、使徒言行録13章9節で最初の伝道旅行としてキプロスに宣教に出かけるところから「パウロとも呼ばれていたサウロ」と始めてギリシア語名が出てきます。
先月の説教では使徒言行録4章を取り上げて、初期のエルサレムの教会が持ち物を分かち合って共同体をつくっていたことをお話しましたが、エルサレムの教会の「使徒」と呼ばれるイエスの弟子たちが十字架刑で殺されたイエスがキリスト・救い主メシアだと告げていたので当時のユダヤ教の権力者から迫害を受けていた事が続いて描かれています。使徒たちは殺されようとしても堂々と、イエスを復活させたのは神で、イスラエルを悔い改めて罪を許すためにイエスを復活させたのだ、と裁判にかけられたときも、ユダヤ教の神殿でも説教しました。祭司長や長老という権力者にファリサイ派という熱心なユダヤ教徒も加わって教会に対して迫害を行ったのですが、その迫害する側に今日の箇所の中心人物サウロがいました。サウロは熱心はファリサイ派でエルサレムにいましたが、彼自身はタルソス出身でギリシア語を話しローマの市民権まで持っているユダヤ人としては上流階級とも言える人でした。
エルサレムの教会のほうはどんどん信者の数が増えていったことをお伝えしましたが、その中に二つのグループがありました。ヘブライ語・アラム語を話すユダヤ人とギリシア語をはなすユダヤ人です。ユダヤ人は歴史的にバビロニア帝国による捕囚からディアスポラと呼ばれる離散ユダヤ人の歴史がはじまり、ペルシア帝国、アレクサンダー、地中海世界各地にユダヤ人コミュニティを作っていました。エジプトや今のチュニジアといった北アフリカ、ローマやギリシアの各地、現在のトルコの小アジアや中東各地にユダヤ人居住地があり、そこではユダヤ教の神を礼拝して民族のアイデンティティを守りながら言語としては当時の国際語であるギリシア語を話し、ギリシア語に訳された旧約聖書を読んでいました。そんな国際派のユダヤ人も祭の時に帰省したり、ある程度年老いて故国に戻りエルサレムで暮らしていましたので、その中からも復活したイエスが神の子であると信じる人たちが増えていきました。
7章の終わりにステファノの殉教とありますが弟子のひとりステファノもそんなギリシア語を話す信者の一人です。ギリシア語を話す信者の中から食べるものの分配が不公平だとヘブライ語を話す使徒たちに不満の声が上がったときに、使徒たちは御言葉と祈りの奉仕に専念するから、食事の世話をする人を選びなさいと言いました。ステファノは選出された7人の奉仕者の一人です。他にもフィリポなど名前からはギリシア語を話す信徒たちが選ばれたのです。
迫害の中でステファノが石を投げられリンチにあっていた時に、サウロはこのステファノの殺害に賛成していました。そして8章3節にあるように、サウロも積極的に、キリスト者を捕らえては牢屋に送り込むことをしていたのです。先ほど言ったようにサウロは熱心なファリサイ派でガマリエルという有名な先生の元で律法を学んでいました。ガマリエルはキリスト教徒を迫害しないように放っておきなさいと言うんですが(5章34節以下)、パウロは先生の意に反してイエスが神の子であるという連中は神を冒涜していると思い赦せなかったのでしょう。ですから教会の迫害者の急先鋒として名を馳せていきます。
8章の最初にこう書いてあります。「その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散っていった」とエルサレムの教会に対して大迫害が起こりましたが、どうやらギリシア語をはなすグループに対してであったようです。それによって、エルサレムの外のユダヤやサマリアに伝道が進んだというのです。神さまのなさることは不思議です。一方で、サウロはというと、エルサレムから北へとキリスト者を追いかけて捕らえて行くのです。大祭司から許可を得て、ダマスコまでキリスト者を追いかけていきました。
ダマスコはエルサレムから330kmくらい東京から名古屋くらいの距離になりますが、現在のシリアの首都ダマスカスで現存する都市では最も古いと言われる4000年前から人が住み続けている都市といわれています。
サウロは「主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司の所へ行き、ダマスコの諸会堂(ユダヤ教のシナゴーグ)宛ての手紙を求めた」と9章のはじめにあります。その手紙の内容は「この道、イエスの教え、に従うものを見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行する」というものでした。これはサンヘドリンとよばれる最高議会が、サウロに全権委任してダマスコに送ったとかなり酷いですね。サウロはそれが正しい、正義だと思っていますが、キリスト者からすれば悪人です。
しかし、サウロがダマスコに近づいたときに復活のイエスに出会ったのです。といっても光に打たれて倒れ、目が見えなくなり、イエスの声をきいたと使徒言行録の著者ルカは書くのです。パウロ自身はこの時のことを手紙の中で「神が御子をわたしに示した」(ガラテヤ16:16)とか「わたしたちの主イエスを見た」(1コリント9:1)と表現します。いずれにしてもダマスコのあたりで、それまで教会を迫害していた急先鋒のサウロは何らかの形で復活のイエスに出会い、イエスこそ神の子メシアであると信じて、その福音を伝えるものになったのです。回心がおこりました。サウロがあちこちの会堂で「イエスこそ神の子です」と言ってまわったものですから、それを聞いたユダヤ人たちは非常に驚くわけです。昨日までキリスト者を捕まえては縛り上げ、そのためにダマスコに来たはずのサウロが「イエスこそ神の子メシアだ」と言い広めているのですから。しばらくするとユダヤ人たちの驚きとうろたえは殺意に変わりました。サウロはユダヤ人たちが自分を殺そうとしていることに気付き、街を囲う城壁の出入り口となる門も見張られていたので、籠に乗って城壁から降ろしてもらい街を脱出することができました。そしてエルサレムに向かったのです。
パウロの書いたガラテヤ人への手紙では「それから3年後、ケファと知り合いになろうとしてエルサレムに上り、15日間彼の元に滞在しましたが、ほかの使徒には誰にも会わず、ただ主の兄弟ヤコブにだけ会いました。」(ガラテヤ1:18)と書いているので、今日の使徒言行録の記事とは必ずしも一致しませんが、パウロはパウロの視点で自身に起こったことを思い出して語り、使徒言行録を書いたルカには神学的な意図があって編集しているので、ここでは史実としてはどうなんだということを突き詰めることはせずに私たちに語られていることを読み解きたいと思います。
ルカが描くようにいくらサウロが復活のイエスに出会って回心したと言っても、弟子の仲間に加えてくださいとエルサレムの教会を訪ねても「それは良かった、これからは兄弟、家族だ」とはならないでしょう。自分たちの指導者のひとりステファノの殺害に関係し、信徒たちを捕らえては牢屋送りにしていた、そのサウロがイエスの弟子、信じる者になったと言われても疑います。そして騙して教会を迫害するのではないかと恐れたというのはよく理解できます。「昨日の敵は今日の友」とは簡単にはいかないのが私たちの現実です。
しかし、ここに一人の信仰者が与えられます。ペトロや主の兄弟ヤコブと言った教会のトップリーダーではなく、仲介者となるバルナバがサウロを助けます。このバルナバ、先回の説教でも出てきましたが使徒言行録4章でキプロス出身のヨセフが持っていた畑を売ってその代金を献金したことが書かれています。その彼が使徒たちからバルナバ、「慰めの子」と呼ばれていたと記されているのです。慰めとは助け、寄り添いとも訳される言葉です。その慰めの子バルナバが、サウロが本当にダマスコに行く途中で復活のイエスに出会って回心し、ダマスコではイエスこそ神の子だと福音を語っていたことを説明し説得したのです。それによってサウロは使徒たちの集まりに受け入れられました。
バルナバがサウロとエルサレムの教会の和解をもたらせてくれました。
エルサレムのユダヤ人たちは裏切り者サウロに怒り、また彼を殺そうとしていたので、教会の使徒と信徒たちはサウロをエルサレムからカイサリアまで連れて行き、サウロの故郷タルソスへと送り出したのです。
ルカは書きます「こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保った」と。これはこの地方での教会への迫害が収まったことを示しているという学者もしますし、裏切り者で信用のおけない厄介者であるサウロが去って教会が平安を取り戻したという見方もあるかもしれません。しかし、このパウロがエルサレム教会と和解して受け入れられたことによって、平和が保たれたのではないかと私は思うのです。そしてここで「教会」という言葉、ギリシア語ではエクレシアといいますが、この言葉が始めて使われていますが、ユダヤ、ガリラヤ、サマリアの地方全部の信徒の集まりを言っているのに単数形で一つの教会と表しているのですから、出身や言葉によって区別し、グループで分かれるのではなく、信仰によって一致するということが適った。そのことが主を畏れ、聖霊の慰めをうけて基礎が固まったということであり、新しい訳では「全地方で平和のうちに築き上げられ」とあるように、教会が霊的内面的にも建て上げられて、信者の数でも成長していったのです。
世界と日本の教会を見てみると歴史的に外部からの迫害だけでなく、教会の内部にも争いがありました。このあと歌う讃美歌もメソジスト運動の創始者ジョンウェスレーの弟チャールズウェスレーの作詞で、「困難と迫害の時代の讃美歌集」の一つとして1740年代に英国国教会からメソジストへの迫害が最高潮に達した時代に作られたものです。プロテスタント教会の中でも迫害の歴史がありましたが、和解と一致に向けて歩んでいることを信じます。教会から和解と平和をつくりださなければ、どこに平和が実現するでしょうか?一つ一つの教会を見ると、日本や西欧では、どんどん小さくなっていくキリスト教の教会ですが、平和を基礎に全世界で一つのキリストの体成長していくことを、今も聖霊が導いていてくださることを今日の聖書から受け取りたいと思います。
ルカはバルナバ「慰めの子」を和解の使者として登場させています。決して目立つ存在でも、傑出したリーダーでもありません。しかしそれは私たちにも求められていることではないでしょうか?スイスのキリスト教思想家カール・ヒルティは「バルナバ、すなわち、『慰めの子』という名は、すべてのキリスト者がかならず持っていなければならない美しい名である。キリスト者のもとでは、常に慰められなくてはならない」と『眠られぬ夜のために』の中に記しています。
彼はバルナバという名前は特別の人のものではない、信仰者ならだれでも持つべき名だというのです。つまり「あのような人になれたら」ではなく、自分がそうなっていくことが求められているのだと。
先日のZoom祈祷会で、吉岡牧師が韓国の日本人による虐殺のあったチェアムリ教会の虐殺の記念の式典に日本の牧師が招待されたということを話してくださいました。ここにキリスト者どうしの和解をみることができます。そして戦後80年、日韓条約60年の今年、日本基督教団と在日大韓キリスト教会は合同で平和メッセージを出しました。その最後をこう締めくくっています。
「私たちは、いま、この時、イエス・キリストの洗足の身振り(ヨハネ13)をともに想起したいと思います。
生活の中で最も汚れた部位である足を洗うということ。それは、汚れた部位を指摘して非難し分断を深めるのではなく、その部位を洗い合うことによって、自らの汚れに気づき、悔い改めを忘却する身振りを離れて、新たな道に進むからだを整えることと信じます。「日韓」という国民国家のアイデンティティを背負い/背負わされつつも、私たちが背負うべき悔い改めの忘却という責任を引き受け、イエス・キリストの十字架の贖いに値する生を、「いま、ここ」から、再び、新たに、ともに紡いでゆきたいと思います。」
私たち自身がキリストによって悔い改め、神と人と和解させられたのですから、「慰めの子」バルナバのように、この分断の世界にあって和解の使者、平和の使者としてこの世へと遣わされていくのです。