2025年8月3日 平和聖日・大人とこども共に守る礼拝 みんなで平和をつくろう 小田哲郎伝道師
(説教本文)マタイによる福音書5章1-9節
齋藤直江さんにGod’s Loveを特別賛美していただきました。この曲は齋藤さんが作った歌ですが、聖書の言葉が繰り返されています。「わたしの目にはあなたは高価で尊い
ありのまま愛しているよ ずっと」これは旧約聖書のイザヤと預言者がユダの人たちに伝えた神の言葉です。「わたしの目にあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ書43章4節 新改訳)
イエスさまの時代から500年くらい前、ユダの国はバビロニアっていう大きな国にこてんぱんにやっつけられて国を取り上げられてしまいました。そして、バビロニアに連れて行かれてしまいました。その時思いました。今、外国に無理矢理連れてこられたのも、神さまを信じなかったからだ。あの時も神さまの声は、「武器に頼るな、力に頼るな、あなたたちの神さまが守ってくれることを信じなさい」と預言者を通して聞いていたのに、みんな神さまの声を無視して「やっぱりエジプトが強いからエジプトと手を組んで戦って国を守ろう」とか、「もっと武器を買って、力を強くしないと」っていう人が多かったんだね。だから神さまは信じないユダの人たちをバビロニアに連れて行かせたんだ。
今はそのことに気がついて「僕たち、私たちは神さまを信じなかったから、今こんなに苦しい思いをしている。外国に無理矢理連れてこられて、もう国もなくなっちゃった。もう僕たちはダメな民族だ、どうやって生きていけばいいんだ」って自身も無くなってしまっていたんだね。でも、そんなときにイザヤさんが「恐れるな!わたしがあなたと共にいる」と神さまの声をつたえました。あなたたちは一度失敗したけど、神さまを信じることに失敗したけど、それでも神さまにとってはあなたたちは大切な宝石のような民です。神さまはそんな弱くてダメダメなあなたたちを愛している。というのです。そして必ず救い出して国に帰してあげます、と神さまは約束します。そして本当にバビロニアは別のペルシアという国に負けて、ユダの人たちは自分の国に帰ることができるようになりました。
それから500年たってイエスさまが生まれて、その時にはまた別のローマという国にユダヤの人たちは支配されていました。戦争はそんなにありませんでしたが、ローマに力で押さえつけられていましたから、いっぱい税金を取られて生活が大変だったり、自由がありませんでした。ユダの人たちは、また神さまが救いだしてくれると信じていました。きっとまた神さまは力の強い救い主を送ってくれて、ローマを追い出してくれるじゃないかと思う人たちも大勢いたんだね。でもどうだろう?イエスさまは「みんな武器をもってローマと戦おう!」っていったかな?なんか逆だね。敵を愛しなさい、剣を取る者は皆、剣で滅びるって言いました。そして、今日の聖書の言葉「平和を実現する人々は幸いです。神さまに祝福されています」ってイエスさまは言うのです。
平和を実現するっていうのは、平和を作るとか平和の働きをするってことです。じゃあ、戦争しているところに行って戦争を止めなさいっていうのでしょうか?そもそも聖書が言う「平和」っていうのは戦争がないということだけを言っているのではありません。自由が奪われていないとか、飢えがない、お腹をすかせた人がいないとか、貧しく困っている人がいない、悲しみ苦しんでいる人がいないことです。旧約聖書の言葉ヘブライ語で平和を「シャローム」といいます。「完全な状態で何も足りないところがない、大丈夫、順調」という後で平和の挨拶の時にこの「シャローム」で挨拶します。この挨拶をするとき、あなたに神さまのシャロームがあるようにという、こころが安心して、まんまるで心配がなく、神さまとの関係もとっても良好でありますように、という意味をこめて「シャローム」神さまの平和がありますようにと祈ります。
聖書のいう平和が戦争をしない、戦争をやめるということでないことはわかりましたが、じゃあどうやって平和を実現、つくりだすのでしょうか?そんなこと私たちにできるのでしょうか?これは私たちの頑張りだけではどうにもなりません。この世界がシャロームになるためには、この世界をつくった神さまの、とっても良い世界にしたいという思いが、意思が実現しなければいけません。神さまはそのために、イエスさまを私たちのところに送ってくださいました。
そのイエスさまが「平和をつくる人は、神さまに祝福されます。神の子と呼ばれます」と言ったとき、神さまの子どものように、神さまの子であるイエスさまのように生きること。喉が渇いていたら水をどうぞとあげる、お腹をすかせている人がいたら僕の食べ物を半分あげるよという。友だちがいなくて寂しそうにしている人がいたら、一緒にご飯を食べようと誘う、そうすると少しシャロームの世界に近づくと思います。
でも、いま世界の多くの人はそうは考えていません。大人たちは、力をもっている政治家の人たちは、お金持ちの人たちは、神さまがこうあってほしいと思っていることと逆のことをしてしまいます。水が少なくなってくると、自分の国で水がいっぱい使えるように他の国とけんかします。昔も一つの井戸を水をめぐって戦いがあったと聖書にも書いてあります。お腹をすかせている人たちが今もいます。貧しい国では食べるものを作っていても、食べられない人たちがいるのに、お金を持っている豊かな国では食べ物を毎日どんどん捨てています。イエスさまの時代でも、農家の人が麦などを収穫してもローマに税金として持って行かれて苦しい思いをしていました。今、世界では戦争で家を失った人や、貧しくて食べられない人や、自由がなくて強い人に反対して命まで狙われている人たちが難民として、アメリカやヨーロッパや日本に助けてくださいって逃げてきています。でも、色んな国で外国人来ないでと言われたり、なんか悪いことするんじゃないかと思われて悲しい思いをしています。イエスさまの時代もユダヤの人は外国人と一緒に食事もしちゃいけないという人がいました。
なんだか昔も今もそんなに変わらないじゃないかと思うかもしれません。でも、イエスさまが来てから変わったんです。今日の聖書で「心の貧しい人は、幸いです」「悲しむ人は、幸いです」ってあるけど、「貧しい人が幸せ、悲しむ人」は幸せって逆なんじゃないかと思うよね。普通考えるのとは逆なんです。神さまがこうあってほしいと思っていることと逆のことをしてしまう、わたしたちの世界を逆にすることで、イエスさまは神さまの考えるシャロームの世界にこの世界をしようとしているのです。「天の国はその人たちのものである」とイエスさまが言っているのは、神の国がわたしたちの世界にできるのですよ、と言っているのです。
イエスさまが来てから今までの逆の生き方が始まりました。みんなが大丈夫で、お腹をすかせている人もいなくて、戦っている人もいなくて、幸せなシャロームの世界はまだ完成していないけど、イエスさまはわたしたちみんなで一緒にシャロームを作ろうよ、と言っているのです。シャロームを作人は、神の子と呼ばれるのです。イエスさまが世界をシャロームにするために神さまのものから来て、神さまが約束したようにいつも一緒にいて、わたしたちを愛してくださっていることを信じて、従うときに、シャロームの世界は広がっていきます。だからみんなでシャロームをつくっていきましょう。