2017年11月26日 良い子になれないわたしでも

(要約)わたしたちは、神の思いに反して様々な過ちを犯します。神の思いに反することが「罪」です。人間的な努力では、罪を克服することはできません。そのようなわたしたちをも神は愛してくださるのです。

(説教本文) 今日は収穫感謝と子ども祝福の特別な礼拝です。いつもの日曜日には、幼児は9時から幼稚園のりす・つばめの部屋で、小学生、中学生、高校生は9時からこの部屋で、大人は10時20分からこの部屋で礼拝をしています。別々に礼拝しています。でも今日は、小さな子どもからお年寄りまでみんなで一緒に礼拝しています。みんなで声を合わせて、神様に「ありがとう」を言うためです。神様、私たちを育ててくれてありがとう。わたしたちが生きるために必要な食べ物をくださり、ありがとう。そのような心でこの礼拝を捧げましょう。

たかお君という男の子がいました。友だちからは、たかちゃんと呼ばれていました。たかちゃんは教会の幼稚園に行っていました。フィッシャー幼稚園も教会の幼稚園だから、同じだね。今、たかちゃんは中学生です。

たかちゃんは幼稚園の庭で遊ぶのが大好きでした。幼稚園に来ると大急ぎで支度をして、庭に出て遊びます。砂場、ブランコ、かけっこ、滑り台、木登り、たかちゃんの幼稚園にはこどもが登れる木があるのです。たかちゃんは木に登るのも大好きですが、一番気に入っているのは、三輪車でした。たかちゃんは自分の好きな遊びに夢中になると、なかなかやめることができません。他の子が三輪車に乗りたくて待っていても、なかなか貸してあげられません。でも自分が待っているときは、ほかの子に、早く変わってーというのです。 ある日のことです。「ねえ、早く変わってよ。いつまで乗っているの。」「僕がまだ乗っているんだから、ちょっと待ってて。」「ちっとも待てない。」言葉がだんだん激しくなりました。「貸して」「やだ」「貸せ」「やだってば」そして、たかちゃんは、その子が乗っている三輪車を横取りしてしまったのです。どうなったと思う。そう、けんかになりました。たかちゃんが三輪車を横取りすると、とられた子が「返して」泣きました。ともだちが「どうしたの」と集まってきました。だれかが先生を呼んできました。「どうしたの?」三輪車を取られた子が泣きながら「たかちゃんが無理やり三輪車をとった。」「たかちゃん、どうして無理に三輪車をとったの?」「だって早く三輪車に乗りたかったんだもん。なかなか変わってくれなかったんだもん。」「でもね、順番を待たないと、けんかになっちゃうよね。三輪車を横取りされたら、たかちゃんだっていやでしょう。」・・・しばらくしてたかちゃんは「うん。もうしない。」といいました。そして泣いていたともだちに「ごめんな」を言いました。ともだちは「いいよ」って言ってくれました。