2022年7月3 宣教への派遣 吉岡喜人牧師

(要約)今日は初期のキリスト教の宣教に大きな働きをしたバルナバにスポットライトを当てます。教会は、数知れない多くの宣教者のチェーンによって今につながっているのです。

(説教本文)使徒言行録13章1~12節

時が立つのは早いものですね、今日は7月最初の主日です。昨年の7月・8月は、旧会堂が解体され、仮設園舎が建設中という状況でしたので、集まって礼拝する場所がありませんでした。天井近くまで段ボール箱が積まれた教育館1階のわずかな隙間に少数の礼拝奉仕者が集まり、礼拝をライブ配信しました。苦肉の策でしたが、ともかく礼拝を途切れさせない、どのような形でも礼拝を続ける、という教会員の篤い思いで乗り切ることができました。その後も、コロナ禍における仮園舎での礼拝では、皆が一堂に集まることができず、ある時は4週間に1回の礼拝出席、ある時は1日に3回の礼拝など、様々な工夫をして、なんとか礼拝を休まずに続けることができました。幸い、礼拝の場でのコロナ感染もなく今に至っていることは、篤い信仰の心をもった信徒の皆様の祈りが天に聞き届けられたと確信しています。

さて、復活した主イエスは40日の間、弟子たちとともに過ごされました。主イエスが天に帰る前、主イエスは弟子たちに命じました。「だからあなた方は行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28:19‐20)

この主イエスの言葉は、「大宣教命令」と呼ばれることがあります。いつの時代も教会はこの大宣教命令をしっかりと受け止め、福音伝道、宣教に励んできました。ここに南三鷹教会があることも、多くの人々の祈りに支えられた宣教の賜物です。

キリスト教の始まりのころにも、たくさんの熱心な宣教者たちがいました。今日は、その一人、バルナバという人にスポットライトを当ててみたいと思います。

バルナバは聖霊降臨の後に出来たエルサレム教会の初期からのメンバーの一人でした。まず使徒言行録4章でバルナバが紹介されています。「信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。たとえば、レビ族の人で、使徒たちからバルナバ=「慰めの子」という意味=と呼ばれていたキプロス島生まれのヨセフも、持っていた土地を売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。」(使徒4:34-37) さらに「バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていた」(使徒11:24)と紹介されています。土地を持っていたということはかなり裕福だったと思います。バルナバは慰めの子という意味と書かれていますから、柔和で、困っている人、悲しんでいる人に慰めを与えるような人格者でもあったのでしょう。そしてなにより信仰の篤い人でした。

バルナバはキプロス島生まれのユダヤ人で本名はヨセフです。ギリシャ語の名前としてバルナバと呼ばれていました。パウロもギリシャ語の名前で、本名はサウロです。

ユダヤ教ファリサイ派のメンバーだったサウロは、ステファノの殺害にかかわり、その後も多くのキリスト者を迫害しました。キリスト者を追ってダマスコに向かう途中で主イエス・キリストに出会い、キリスト者を迫害する者から、キリスト者へと人生の向きを変えました。サウロがエルサレムに来た時、エルサレム教会の人々はサウロを恐れました。かつて自分たちを見つけては捕らえ、牢獄にぶち込んだサウロです。殺された人たちもたくさんいました。そのサウロがエルサレムにいる、キリスト者たちの間に警戒心が生まれたのは当然です。この時、バルナバはサウロをエルサレム教会に連れて行き、教会の人々にサウロを紹介したのです。サウロはエルサレムでよい働きをしていましたが、ユダヤ人たちから命を狙われたのでエルサレムを離れ、自分の出身地であるタルソスで過ごし、アンティオキアに移りました。聖書の巻末についている地図を見ると分かりやすいのですが、アンティオキアはイスラエルの北方のシリアにあって、ローマ、アレクサンドリアに次ぐローマ帝国で三番目に大きな都会でした。そこには多彩な民族や言語の人々が住んでおり、また商売などのために訪れて来るところでした。ここにキリストの教会がありました。というのも、「ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまでいった」(使徒11:19)と書かれているように、サウロたちによって迫害されたキリスト者たちが逃れた先の一つだったからです。「アンティオキアまで行った」と書かれているように、エルサレムから遠く離れており、またいろいろな民族や宗教の人たちが住んでいたので、キリスト者であることが目立たなかったのでしょう。驚くことにアンティオキアの教会には、ヘロデの(ヘロデ大王の子、ヘロデ・アンティパス)幼友だちのマナエンという人もいました。支配者側だっただけに、キリスト者となったことで裏切り者として迫害を受け、ユダヤから遠くのアンティオキアに逃れてきたのでしょう。アンティオキアの教会は目立たないようにひっそりと、エルサレムから逃れてきた人たちで礼拝が行われていました。

アンティオキアの教会には、キプロス島や北アフリカのキレネ出身者、さらに肌の色の濃いアフリカ出身者もいました。ギリシャ語を自由に話すことができる彼らは、ユダヤ人以外のギリシャ語を話す人々に主イエス・キリストの福音を語りました。自然と伝道を行うようになったのです。そのことによって多くの人がキリスト教信仰を受け入れ、洗礼を受け、教会のメンバーになりました。このようにアンティオキアの教会が成長していることが、エルサレム教会にも伝わりました。エルサレム教会は、アンティオキア教会の人々を指導するために、バルナバを派遣することにしました。

アンティオキアに着いたバルナバは、教会を指導しながら、サウロを探しました。バルナバはサウロに宣教者、伝道者としての才能を見ていたのです。バルナバは、サウロが自分の親の家があるタルソスにいるに違いないと思い、タルソスに行ってサウロを探し、ついにサウロを探し当てて、アンティオキアに連れてきたのです。アンティオキアでバルナバはサウロに宣教者、伝道者としての教育と訓練を与えました。バルナバとサウロは、一体となって教会のために働きました。福音を教えるだけではなく、例えば飢饉が発生すると援助物資を集めて飢えている人たちに届ける(使徒11:29-30)といった信仰に基づいたボランティア活動もしています。

さて、成長した動物が子を産むように、成長した教会は教会を産みます。アンティオキア教会は、大きな教会へと発展、成長しました。そこで、聖霊はアンティオキア教会に告げました。「教会を産みなさい」 教会の人々は熱心に祈り、バルナバとサウロを宣教へと送り出したのです。二人は船でキプロス島にわたって宣教しました。キプロス島では宣教を妨害しようとした偽預言者との対決もしました。キリストの宣教は山あり谷あり、川がありという具合です。人間の力ではどうすることもできないことばかりです。聖霊が導いてくださいました。その後二人は現在のトルコに行って主イエスの福音を宣教しました。主イエスの福音を受け入れ、主イエスを救い主とし崇める人々は、その地に教会を設立したのです。

ところでサウロはいつの間にか名前がパウロに変わっています。聖書では、今日の聖書個所、使徒言行録13章9節に分岐点があります。「パウロとも呼ばれていたサウロは」と書かれており、13節からはパウロになっています。つまり、世界の宣教に向かうにあたり、ユダヤ名のサウロから、ギリシャ語の名前パウロに呼びかたを変えたのです。ユダヤ人への宣教が中心だった福音伝道が、民族、国家の枠を越えて世界へと宣教の範囲を広げたのです。それは聖霊の力によるものなのです。

最後に、わたしたち主イエスキリストを救い主として信じる者を「キリスト者」と呼びます。それは使徒言行録11章26節に「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。」と書かれている通りです。ひとつ前の口語訳聖書では「クリスチャンと呼ばれるようになった」と書かれていました。どちらかというと世の中的には「クリスチャン」の方がよくつかわれますが、クリスチャンは英語ですので、最近では多くの翻訳で「キリスト者」となっています。

キリスト教を世界に広めることに貢献した人というと、まずパウロを思い浮かべることが多いと思います。確かに使徒言行録はパウロの宣教が大半を占めています。しかし、今日読んだように、バルナバもキリスト教宣教に大きな貢献をしました。ほかにも名前がわからない                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            たくさんのキリスト宣教者がいたはずです。聖書に書ききれないほどの人がいたでしょう。全ての人がバルナバやパウロのように大きな働きをしたのではありませんが、多くのキリスト者がキリスト宣教をしたということ、世界の全ての教会は宣教のチェーンによって時代を越えて結ばれているのです。

南三鷹教会は7月8日に創立70周年を迎えます。新しい会堂で創立記念礼拝を行いたいという思いから、創立記念礼拝を延期しました。この礼拝の後に開かれる役員会で創立記念礼拝の日程を検討します。バルナバとサウロによってはじめられた世界宣教が、多くのキリスト者によって信仰のバトンが受け継がれ、今の南三鷹教会につながっています。そのことを覚え、感謝と賛美をもって教会の誕生日を祝いましょう。