2024年4月7日 信じる者になりなさい 小田哲郎伝道師

(要約)「見ないで信じる人は幸いである」と復活したイエス・キリストは私たちにその言葉を残しました。私たちの目には復活のイエスの姿は見えませんが、聖霊の力によって私たちの人生に働きかけている神と出会います。トマスのようにイエスを神と信じてイエスの名により命を受けましょう。

(説教本文)ヨハネによる福音書20章13-31節

 先週私たちは主イエス・キリストの復活日イースターを祝いました。金曜日に十字架の上で息を引き取ったイエスは墓穴に葬られましたが、三日目の朝に墓を訪れたマグダラのマリアたち女性の前に復活した姿で現れました。夕方には弟子たちの隠れている部屋に現れました。そして一週間後の今日、聖書の中での数え方は8日の後、その時にはいなかった12人の弟子、使徒の一人トマスの前にも現れました。このトマス、ここではディディモと呼ばれると書かれていますが、これは聖書の書かれたギリシア語で双子という意味です。トマスと言う名前が実際にイエスの時代のアラム語での呼び方アラム語で双子という意味ですが、本当に双子だったか、誰と双子だったかは謎です。私たちの間では双子ということよりも「疑り深い」という枕詞がついて「疑り深いトマス」という呼び方に慣れ親しんでいるのではないでしょうか。讃美歌にも「うたがいまどうトマス」と歌われています。しかし、このトマスは後にインドまで宣教したという伝説があり、インドの南部にはその流れを汲むトマス派の教会がいくつもあります。そんなに宣教熱心なトマスをいつも「疑り深い」と言ってしまうことに申し訳ない気持ちです。でも、その信仰の弱さや理解のなさは他の使徒たちも同じこと。しかし、復活の主イエス・キリストに出会い、そして聖霊の力をうけて世界へと宣教に押し出されたのです。そして、今も教会は罪を赦し、洗礼を授ける権能を主イエス・キリストから受けつぎ、私たちの教会からも先週のイースターには二人のイエス・キリストの弟子が生み出されました。そのことを覚えつつ、本日のみ言葉から聞いていきましょう。

 十字架の死から三日目の朝、福音書を書いたヨハネは「週の初めの日」と呼びますが、日曜日の朝、最初に復活のイエスに出会ったのは女性たちでした。イエスは彼女たちに向かって、行って他の弟子に「父なる神のもとへ上る」と告げるように言いました。「私の父であり、あなたがたの父である方、また、私の神であり、あなたがたの神である方のもとに上る」と。天の父なる神のもとからこの地に降り、救いのみわざを成し遂げられた神の御子イエスは、また天の父なる神のもとへと上られるのです。そのことが何を意味するのかはよく分からずとも、彼女らは恐れとともに喜んで走って他の弟子たちに主が復活したことを伝えに行って、言われた通りに弟子たちにその言葉を伝えたのです。
彼女らは「私たちは主を見た」と他の弟子たちに言いましたが、弟子たちはそれを聞いてすぐに信じたでしょうか?どうも疑わしいのです。夕方になっても弟子たちは自分たちもユダヤ人たちに見つかったら捕らえられることを恐れて戸に鍵をかけて引きこもっているのです。ここでも福音書記者ヨハネは「週の初めの日」の夕方と書きます。つまり日曜日の夕方です。
そこに、復活の姿のイエスが現れます、鍵をかけた戸を通り抜けて。

 復活は死んだ人の蘇生ではありません。イエスは霊的な体をもって復活され、弟子たちの前に姿を現しました。時にはそれがイエスと気がつかないような別の人に思える姿だったのかもしれません。マグダラのマリアたちも、最初に出会ったときには墓のある園の番人だと思い、「マリア」と名前を呼ばれたときにそれが復活したイエスだとわかったのです。
今、扉を通り抜けて弟子たちの真ん中に立つイエスは、十字架に磔られたときに釘をうたれた手のひらと最後に槍でさされて血と水が流れ出たその脇腹を見せながら、「あなたがたに平和があるように」と挨拶なさいます。その手と脇腹を見て弟子たちはこれは間違いなく主イエスだ、十字架に架けられて墓に葬られていたその人に間違いないとわかり喜んだのです。見て信じたのです。マリアたちが言っていた「わたしは主を見た」というのは本当だったのだと分かったのです。

 ここで少し「復活」ということについて考えてみたいと思います。十字架に架けられ死んで葬られたイエス・キリストが復活したことは初期の教会の誰もが信じていたことでした。ユダヤや今のトルコやギリシャの各地に生まれていたクリスチャンの集会・教会によって福音の理解や強調点が少しずつ違うことは4つの福音書の違いからも察することができるのですが、イエス・キリストが死者から復活したということは共通の理解であり、これこそがキリスト者の信仰の根幹でした。

 パウロもコリントの信徒への手紙一15章で言います。「最も大切なこととして私があなたがたに伝えたのは、私も受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおり私たちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、それから十二人に現れたことです。その後、五百人以上のきょうだいたちに同時に現れました。そのうちの何人かはすでに眠りに就きましたが、大部分は今でも生きています。次いで、キリストはヤコブに現れ、それからすべての使徒に現れ、そして最後に、月足らずで生まれたような私にまで現れました。」と。

 パウロがユダヤ教から改心する以前から、主イエス・キリストが三日目に復活したということが信仰告白としてキリスト者になる洗礼式の中で告白されたことはもとより、その復活の証人がパウロの時代にはまだ生きていたというのです。何よりも、復活の主イエスに出会ったという、「私は主を見た」というその衝撃を証言せずにはいられなかったのでしょう。

 当時のユダヤ人にとって復活とは、ただ死人が蘇生することでもなく、霊として生き続けることでもなく、この肉体とは異なる体、イエスが鍵のかかった扉を通り抜けたように、またエマオに向かう弟子たちがイエスだと分かった途端に姿が消えるようなこともあると理解していたようですが、それを実際に見たという話はなかったのです。それが、復活した人に出会った。それがどうやらあの十字架にかかって死んだナザレのイエスだということに衝撃を受けたのでしょう。本当に復活したのだ。イエスが復活した。やはり待ち望んでいた救い主だったのか、自分たちが考えていたのとは違う救い主、メシアではあるが。

 この復活を信じること、復活の信仰はどういうことなのでしょうか?ただ信じる人は天国に行けるということでしょうか?迫害の中でも耐えられるように、死んでもいずれ復活すると初期のクリスチャンを励ましただけなのでしょうか?

 ヨハネの福音書を読んでいると、もっと大きな意味が示されているように思います。
 福音書記者ヨハネがこの福音書の冒頭に「初めに言葉があった」と創世記の1章に重ね合わせ「まことの世の光」としてイエスを描いたように、十字架の上で「成し遂げられた」とのイエスの最後の言葉は、最初の天地創造の第七の日に「神はその業を完成させられ、第七の日に、その全てを終えて休まれたことにリンクしています。そして、この第7日を聖別して安息日とされました。これが土曜日です。イエスが墓に葬られ、よみにといわれる死者の世界に降った日です。そして「週のはじめの日」日曜日の朝にイエスは復活されたのです。これは新しい天地創造のはじまりです。「週のはじめの日」はこの世界全体を新しくする新しい秩序の世界の始まりです。神様が支配する神の国がはじまったのです。それがイエス・キリストが十字架にかかったことと復活の意味するところでしょう。だから初期のキリスト者たちはユダヤ教の安息日ではなく日曜日を主の日として礼拝をするようになったのです。そして私たちもそうするのです。

 この週の初めの日の夕方に弟子たちに現れたイエスは2度言います。「あなたがたに平和があるように」これはこの時代の一般的な挨拶「おはよう」とか「お元気ですか」というものでもありますが、平和シャロームという言葉の意味には、私たちが考える争いがないという意味での平和や心の平安だけでなく、全てが満たされている、とっても良好な状態、そして関係性が回復することでもあります。この挨拶は、主を信じられずに逃げ隠れしていた弟子たちにイエスが赦しと和解を示すものでもあり、「シャローム」先ほど言った新しい創造、神の国を示すものでもあります。良いものとして作られた最初の天地が人間の神への離反によって、どんどん憎しみと争いに満ちていた世界、神が作った美しい自然が破壊された世界が、まったく良いものに作り変えられるのです。
 ヨハネによる福音書はあまり神の国という言葉を使いませんが、かわりに「永遠の命」をよく使います。これはヨハネによる神の国の理解だといえますが、永遠の命というのは、不老不死とか霊魂は消えないということではなく、時間的な永遠を超えて神との満ちあふれる関係の中にある命という意味で、まさに神の国に生きるという意味で使われています。満ちあふれるようなシャロームな神との関係が永遠の命で、新しい世界の復活の命はこの永遠の命なのです。洗礼を受けて歩み出す新しい命が、この復活の命、永遠の命です。

 2度シャロームと繰り返していることはまた、私たちに、このヨハネの福音書の二つの箇所で平和についてイエスが宣べていることを思い起こさせます。
14章27節 「私は、平和をあなたがたに残し、私の平和を与える。私はこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。」
16章33節 「これらのことを話したのは、あなたがたが私によって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私はすでに世に勝っている。」
そしてこのどちらもが、弟子たちに十字架の死と父なる神の元に行くことを告げて、代わりに聖霊・弁護者を送る約束の中で語っている言葉です。

 そしてここ20章ではその約束のしるしとして、彼らに息を吹きかけて「聖霊を受けなさい」と復活のイエスは言われるのです。弟子たちに「父が私をお遣わしになったように、私もあなたがたを遣わす」と宣教への派遣を宣言されながら。「すべての人を照らすまことの世の光」としてイエスが世に遣わされたように、闇の世の光になるように世界へと弟子たちを派遣されるのです。弟子たちに罪の赦しの権能を与えるのです。しかし、罪を赦しは神にしかできません。そのような務めに誰がふさわしいと言えるでしょうか?聖霊を受けなければ、助け主、弁護者と呼ばれる聖霊なる神の助けなしには、この宣教の任務は果たすことはできないことは、私たち牧師が身にしみてわかることです。

 この時には何故かその場にいなかったトマスも、後には聖霊の息を吹きかけられてインドにまで宣教に派遣されたのですが、この時の言い草はすごいですね。「あの方の手に釘の後を見、見るだけでなく指をそこに入れてみなければ、槍で突き刺した脇腹にこの手を突っ込むまでは信じないぞ」。復活が信じられないのでしょうか?他の弟子たちが「私たちは主を見た」という言葉を信じたくないのかもしれません。「なんで自分だけ、あの場にいなかったんだ。自分だけが、なんだか置いてけぼりではないか」という寂しい気持ちになって、そのような言い方をしたのかもしれません。それは、このヨハネの教会にも、パウロの手紙から30年も40年も経っているとすれば、僅かには「私たちは主を見た」という信徒もいたかもしれませんが、その後の世代はクリスチャンになっていても「見ていない」という気持ちに信仰が揺れ動いていたのかもしれません。それは、復活をどう信じれば良いのか?と疑いまどう私たち科学的根拠や合理性や論理的説明に頭ががんじがらめになっている現代人も同じかもしれません。
 
 そんな疑いまどうトマスに、そしてそんな私たちに、復活のイエスは8日の後、また日曜日に鍵のかかった戸を通り抜けて真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と赦しと和解の挨拶をします。そして「この手の穴に指をあてなさい、脇腹に手を差し入れなさい」、とトマスがあの時言ったようにイエス様のほうからその傷を差し出してくださいます。決して、この十字架に架けられた傷はお前の不信仰のせいだと見せつけるためではありません。責めるためでもありません。トマスにはわかっていました。自分はそんなつもりで言ったのではありません、そんなくだらない思いになった私のところにまで主が降りてきてくださるとは、と思ったでしょう。そこでトマスは大きく方向転換するのです。そして「私の主、私の神よ」と信仰を告白します。他の弟子も「先生」「私の主」とはいいましたが、「私の神よ」とイエスを神と告白したのはこのトマスが最初です。
 そして、トマスにも、ヨハネの教会の信徒にも、わたしたちにも復活のイエス・キリストは最後に言葉を残してくれるのです。「見ないで信じる人は幸いである」と。

この言葉は、盲目的に信じることを求めているのではありません。信仰と理性は共に働きます。しかし、信仰というのはただ純粋な聖書の知識や歴史的な出来事の理解ではありません。それ以上に信仰は神の約束への信頼です。このイエス・キリストによって成し遂げた神の救いの約束に信頼するかどうかです。

 ヨハネがこの福音書を書いた目的に記すように、「あなた方が、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、信じてイエスの名により命をうけるため。イエス・キリストによって永遠の命を受けるため」です。このイエス・キリストが死人から復活したと信じることが、あなたがたをキリストに結びつけ、そして永遠の命という神との豊かなつながりへとこの地上にあるときから招かれるのです。だから「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」「見ないのに信じる者は、幸いである。」とのイエスの言葉を書き残し、伝え、私たちにも宣べ伝え続けるように聖霊の息を吹きかけてくれるのです。