2022年8月14日 主に従う道 森永憲治牧師

(要約)イエス・キリストが救い主メシアであることをユダヤ人(ヘブライ人)が受け入れやすいように、パウロは旧約聖書に書かれていることと、イエス・キリストの関係を説き明かしました。

(説教本文)ヘブライ人への手紙12章3~13節

本日の箇所は、ヘブライ人への手紙のまとめとなる11章から13章の、そのまとめの一つの部分です。

このヘブライ人への手紙の著者は不明ですが、内容からイエス様と直接の交流のあった人と思われるので、使徒の教えに忠実と思われます。

そしてこの手紙の受け手である読者も、よく分かりません。

しかし、著者も読者も、旧約聖書、イスラエルの歴史、律法に精通していると思われます、そうでないとこの手紙は成立しないと思われます。ですから、おそらく読み手はユダヤ人クリスチャンだったのではないか、ですから「ヘブライ人への手紙」という名前が付けられているのです。

ここでヘブライ人への手紙の一番最後の箇所、13章22節以下を見て下さい、p.420。

13:22兄弟たち、どうか、以上のような勧めの言葉を受け入れてください、実際、わたしは手短に書いたのですから。 13:23わたしたちの兄弟テモテが釈放されたことを、お知らせします。もし彼が早く来れば、一緒にわたしはあなたがたに会えるでしょう。 13:24あなたがたのすべての指導者たち、またすべての聖なる者たちによろしく。イタリア出身の人たちが、あなたがたによろしくと言っています。 13:25恵みがあなたがた一同と共にあるように。

ここでテモテもイタリアからの人も、ユダヤ人と関係が深いです。このことからも、この書がユダヤ人すなわちヘブライ人のクリスチャンと関係ありということが推測できます。ここで、テモテとイタリア人に焦点を当てたいと思います。

まずはテモテを見てみます。テモテは若いのですがパウロが大変信頼していた人でした、使徒言行録16章1~4節

16:01パウロは、デルベにもリストラにも行った。そこに、信者のユダヤ婦人の子で、ギリシア人を父親に持つ、テモテという弟子がいた。 16:02彼は、リストラとイコニオンの兄弟の間で評判の良い人であった。 16:03パウロは、このテモテを一緒に連れて行きたかったので、その地方に住むユダヤ人の手前、彼に割礼を授けた。父親がギリシア人であることを、皆が知っていたからである。 16:04彼らは方々の町を巡回して、エルサレムの使徒と長老たちが決めた規定を守るようにと、人々に伝えた。
パウロというのはクリスチャンには割礼は不要だとあれだけ強く主張していたにもかかわらず、父親がギリシア人だったので、ユダヤ人の手前割礼を授けざるを得なかったと書かれています。それだけパウロもテモテもユダヤ人社会を意識した人だったと考えられます。

次にパウロの最後の手紙と言われているテモテへの手紙二 1章3~6節、p.391。

1:03わたしは、昼も夜も祈りの中で絶えずあなたを思い起こし、先祖に倣い清い良心をもって仕えている神に、感謝しています。 1:04わたしは、あなたの涙を忘れることができず、ぜひあなたに会って、喜びで満たされたいと願っています。 1:05そして、あなたが抱いている純真な信仰を思い起こしています。その信仰は、まずあなたの祖母ロイスと母エウニケに宿りましたが、それがあなたにも宿っていると、わたしは確信しています。 1:06そういうわけで、わたしが手を置いたことによってあなたに与えられている神の賜物を、再び燃えたたせるように勧めます。

このように、テモテはユダヤ教の大変信仰深い家庭で育ちました。それゆえ、テモテはヘブライ人への手紙が書かれた背景としてのユダヤ人クリスチャン相手への良き指導者となり得た条件を持っていたようです。

次にイタリア出身についてです。 使徒18章1~3節、p.240。

18:01その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。 18:02ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、 18:03職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。

このクラウディウス帝による、一節によれば紀元49年、「キリストの煽動で年中騒動を起こすユダヤ人」を追放しました。エウセビオスという人の書いた教会史では、「クラウディウス帝時代にローマ市内でペトロが信仰を広めた」とあります。参考までに有名な皇帝ネロの迫害は、紀元64年です。64年7月18日にローマで大火事が起こり、その責任をキリスト教徒になすりつけたようです。いずれにせよ、このヘブライ人の手紙のイタリア人とはこうしたユダヤ人クリスチャン、そしてそれは、大変な迫害を受けていたユダヤ人クリスチャンと関係が深いと考えられます。

さて、このヘブライ人への手紙を理解するのは、旧約聖書からの引用が大変多いので、その元となっている旧約聖書の部分を読んで理解する必要があります。そしてこの書がユダヤ人クリスチャン宛に書かれた故に、その冒頭で、イエスキリストこそユダヤ人の過去に先祖が与えられた恵みよりもはるかに偉大な方であり、終わりの時代となったこれからはイエスキリストに従うべきだと、説明するのです、1章1~3節を見てみましょう、p.401。

01:01神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、 01:02この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。 01:03御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。

この1章2~3節に書かれた、「神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。 01:03御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、」この表現は、イエスキリストは神だと、実質的に言い表しています。

このようにイエスキリストは神ご自身であると説明してから、主に以下の4つの点からイエスキリストに従うべきかを説明します。もしかしたら、当時のユダヤ人クリスチャンの間で起こったイエスキリストへの議論が、この4つに集約されていたのかもしれません。

まず一つ目は、1章5節のところ、p.401に「御子は天使にまさる」とあります。天使に勝るのであすから、もちろんイエス様は人間ではない、それどころか天使よりも上、そういった精神的存在でもあるというのです。そして事実上、イエスキリストは神だ、というのです。

2点目は、403ページにあるように、イエスはモーセにまさる、です。
まずそれは403ページ3章3節にこうあります、

03:03家を建てる人が家そのものよりも尊ばれるように、イエスはモーセより大きな栄光を受けるにふさわしい者とされました。

これは、ユダヤ人はみなモーセを最も重要視し、モーセが神様から与えられた律法を遵守することが神様の御心に適うと皆信じていました。そこで、イエスキリストの方がモーセよりも偉大なのです、だからこれからはイエスキリストに従いなさいと言うのです。

もともと異邦人クリスチャンにとってモーセはある意味どうでもいい関係ない人でしたが、ユダヤ人にとってモーセは絶対的な存在だったので、このようにしてイエスを信じなさいと説明したのです。

3点目は405ページにあるように、イエスは大祭司だ、というのです。祭司というのは、神と人とを取りなす役職ともいえます。つまり、イエスキリストこそが本当に神と罪にまみれた人間を和解することができる、というのです。

そしてそれは、406ページ5章6節あたりからでてきますが、イエスはメルキゼデクと同じような祭司だというのです。

メルキゼデクとは、旧約聖書にでてくる偉大な祭司であり、王です。つまりイエスは、大祭司であり、偉大な王だ、と言うのです。創世記14章17~18節、p.18

14:17アブラムがケドルラオメルとその味方の王たちを撃ち破って帰って来たとき、ソドムの王はシャベの谷、すなわち王の谷まで彼を出迎えた。 14:18いと高き神の祭司であったサレムの王メルキゼデクも、パンとぶどう酒を持って来た。

詩編110編4~6節、p.952

110:04主は誓い、思い返されることはない。「わたしの言葉に従って
あなたはとこしえの祭司
メルキゼデク(わたしの正しい王)。」 110:05主はあなたの右に立ち
怒りの日に諸王を撃たれる。 110:06主は諸国を裁き、頭となる者を撃ち
広大な地をしかばねで覆われる。

これを踏まえて、ヘブライ人への手紙では408ページで次のようにいいます、7章15節あたりにもでてきますが、5章6~10節を見て見ましょう。

05:06また、神は他の個所で、
「あなたこそ永遠に、メルキゼデクと同じような祭司である」と言われています。 05:07キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。 05:08キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。 05:09そして、完全な者となられたので、御自分に従順であるすべての人々に対して、永遠の救いの源となり、 05:10神からメルキゼデクと同じような大祭司と呼ばれたのです。

4つめは、生け贄です。普段の実際の信仰生活の上で、ユダヤ人達は捧げ物を捧げなくてはいけませんでした。

そこで、それまではユダヤ人は毎日捧げ物をしなければいけなかったのに、もうそれはイエスキリストが十字架によって捧げられたその一回を信じるだけで十分だと説明しました。412ページ10章8~19節まで見て見ましょう。

10:08ここで、まず、「あなたはいけにえ、献げ物、焼き尽くす献げ物、罪を贖うためのいけにえ、つまり律法に従って献げられるものを望みもせず、好まれもしなかった」と言われ、 10:09次いで、「御覧ください。わたしは来ました。御心を行うために」と言われています。第二のものを立てるために、最初のものを廃止されるのです。 10:10この御心に基づいて、ただ一度イエス・キリストの体が献げられたことにより、わたしたちは聖なる者とされたのです。 10:11すべての祭司は、毎日礼拝を献げるために立ち、決して罪を除くことのできない同じいけにえを、繰り返して献げます。 10:12しかしキリストは、罪のために唯一のいけにえを献げて、永遠に神の右の座に着き、 10:13その後は、敵どもが御自分の足台となってしまうまで、待ち続けておられるのです。 10:14なぜなら、キリストは唯一の献げ物によって、聖なる者とされた人たちを永遠に完全な者となさったからです。 10:15聖霊もまた、わたしたちに次のように証ししておられます。 10:16「『それらの日の後、わたしが彼らと結ぶ契約はこれである』と、主は言われる。『わたしの律法を彼らの心に置き、彼らの思いにそれを書きつけよう。 10:17もはや彼らの罪と不法を思い出しはしない。』」 10:18罪と不法の赦しがある以上、罪を贖うための供え物は、もはや必要ではありません。 10:19それで、兄弟たち、わたしたちは、イエスの血によって聖所に入れると確信しています。

この4つの点を説明するのが、ヘブライ人への大まかな内容です。なぜこれを書いたのかは、恐らく大変な迫害の下、イエスキリストは一体旧約聖書を照らして本当にメシアなのだろうか、一体どういうお方なのかと、疑問や動揺が置き、そうした疑問をハッキリさせたい、という状況が起こったのかもしれません。そして、このヘブライ人への手紙が書かれ、イエスキリストこそが誰よりも何よりも優れているのでこれからはイエスに従いなさい、当時は大変な迫害があったけれど、それに負けず、最後までイエスキリストに誠実に従いなさい、こう、ユダヤ人クリスチャンを励ましていると思われます。

本日の聖書箇所は、その、迫害に耐えなさい、と励ましている箇所です。私達は当時のような迫害はありません。しかし、日々の生活の中、様々な試練や誘惑があり、分かっていてもイエスキリストの道からすぐに離れてしまうものです。改めて、信仰を堅くして日々歩みましょう。

最後に本日の聖書箇所を拝読して、説教を閉じたいと思います。12章3~13節です、

12:03あなたがたが、気力を失い疲れ果ててしまわないように、御自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐された方のことを、よく考えなさい。 12:04あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません。 12:05また、子供たちに対するようにあなたがたに話されている次の勧告を忘れています。「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、力を落としてはいけない。 12:06なぜなら、主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである。」 12:07あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。 12:08もしだれもが受ける鍛錬を受けていないとすれば、それこそ、あなたがたは庶子であって、実の子ではありません。 12:09更にまた、わたしたちには、鍛えてくれる肉の父があり、その父を尊敬していました。それなら、なおさら、霊の父に服従して生きるのが当然ではないでしょうか。 12:10肉の父はしばらくの間、自分の思うままに鍛えてくれましたが、霊の父はわたしたちの益となるように、御自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられるのです。 12:11およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。 12:12だから、萎えた手と弱くなったひざをまっすぐにしなさい。 12:13また、足の不自由な人が踏み外すことなく、むしろいやされるように、自分の足でまっすぐな道を歩きなさい。