2022年12月24日クリスマス・イブ礼拝 クリスマスの贈り物 吉岡喜人牧師

(要約)こどもたちは、クリスマスにはサンタクロースが来てプレゼントをくれることを楽しみにしています。プレゼントはもらう人も嬉しいことですが、プレゼントする側にも喜びがあります。みんなでサンタクロースになりましょう。

(説教本文)マタイによる福音書2章1-12節

フィッシャー幼稚園では毎月の月初めに全員で礼拝をします。12月の礼拝のテーマはもちろんクリスマスです。わたしはこどもたちに質問しました。「クリスマスは誰かの誕生をお祝いする日ですね。だれの誕生日のお祝いでしょうか?サンタクロースの誕生日でしょうか?吉岡先生の誕生日でしょうか?イエス様の誕生日でしょうか?」と三択の質問をしました。最初の質問「サンタクロースの誕生日でしょうか?」に手を挙げたこどもがそれなりにいました。もちろん多くの子どもが「イエス様の誕生日」に手をあげてくれました。ちなみに「吉岡先生の誕生日?」にも何人かのこどもが手を挙げました。
 
 日本では、年末の行事や商売と結びついて、クリスマスを盛大に祝うようになりました。ところが日本の人たちの中で、クリスマスがイエス様の誕生日だということを知らない人が沢山いるのです。誰かの誕生を祝う日ですが、と言われて、サンタクロースの誕生日という人が結構いるのです。クリスマスと言えばサンタクロースというほどまでにサンタクロースは有名になり、日本社会に定着していますね。
 
 サンタクロースは北の国からトナカイが引く橇に乗ってくるというので、サンタクロースの家はヨーロッパの北の国のどこか、雪国でトナカイがいるところというので、いまではフィンランドにサンタクロースの国があるということになっています。そこには大勢のサンタクロースがいてこどもたちからの手紙を受け取り、プレゼントを用意して、橇に乗って世界のこどもたちのところ向かうということになっています。
 
 でも待ってください。地球の南半球は今真夏です。雪が全くないのに橇が走れるのでしょうか。そこで、オーストラリアに住んでいたことのある友人に訪ねてみました。なんと、オーストラリアに来るとき、サンタクロースはサーフボードに乗り替えて海から来るのですって!サンタクロースはトナカイの橇に乗ることも、サーフィンもなんでもできなくてはならないのですね。
 
 こどもたちはサンタクロースが大好きで、存在を疑っていません。では、大人のみなさんに質問します。サンタクロースは本当にいるのでしょうか、それとも架空の存在でしょうか? 答えは、本当にいる、です。ただ、ずいぶん昔のことですが。サンタクロースは実在の人物です。4世紀ごろ、今のトルコの教会にニコラウスという司祭がいました。ニコラウスさんは裕福な家庭の出身で、世の中に貧しい人がいることをしらなかったそうです。ある時、貧しさのために三人の娘を身売りしなければならなくなった家族がいるという話を聞きました。ニコラウスさんはびっくりしました。助けてあげなくてはと思い、夜になってから金貨をもって町に行き、その家の窓からそっと金貨を投げ入れました。チャリン。なにかが窓から入ってきたようです。何かなと思って探してみると、なんと金貨ではありませんか。これはきっと神さまがわたしたちにくださったのだと思いました。その金貨のおかげで、三人の娘さんたちは身売りをしないで済んだのです。
 
 他にもニコラウスさんは人々を助けるためにたくさんの良い働きをしました。このニコラウスさんの働きが他の教会に伝えられ、世界中の教会が貧しい人に贈り物をしたり、困っている人を助けたりするようになったのです。教会の人々はニコラウスさんを尊敬して、聖ニコラウスと呼ぶようになりました。聖ニコラウスをオランダ語ではシンタクロースと発音します。ここから英語でサンタクロースになったと言われています。
 
 
 心を込めた贈り物をもらうと嬉しくなりますが、贈り物をする人も嬉しくなりますね。ユダヤの国に救い主がお生まれになったことを知った東の国の博士たちは、救い主のイエス様に是非会ってお祝いしたいと思いました。そこで黄金、乳香、没薬を持って、長い旅をしてやっとイエス様に会うことができました。イエス様に会った博士たちは喜びに溢れて、黄金、乳香、没薬の贈り物をしたのです。博士たちはイエス様にふさわしい贈り物ができたことをとても嬉しく思いました。
 
 子どもの頃、わたしは博士たちの黄金、乳香、没薬という贈り物になんの疑問も持ちませんでした。それは、黄金、乳香、没薬がなんであるかがわかっていなかったからだと思います。少し大きくなって、黄金、乳香、没薬のことがわかるようになると、このようなものを赤ちゃんのイエス様にプレゼントして、喜ばれるだろうかと思いました。しかし、この3つの贈り物には、深い意味が込められていることを知ると、これらの贈り物はなんとイエス様にふさわしい贈り物だろうと思えるようになったのです。
 
 光り輝く黄金は王の象徴です。イエス様はこの世の王ではありませんが、神の国の王であり、王の中の王、キング・オブ・キングスです。イエス様の十字架の上に掲げられた罪状書きには、「ナザレのイエス、ユダヤの王」と書かれていました。イエス様、あなたは王の中の王です、王様にふさわしいものをという思いを込めて、黄金を贈ったのです。
 わたしは黄金のささげものには、もう一つ意味があるのではないかと思っています。それは、贈り物をささげた博士の信仰が黄金に表されているのではないかということです。わたしたちは主の祈りの最後に「国と力と栄とは限りなく汝のものなればなり」と祈ります。博士たちがこの世の富の象徴として黄金を神の子・主イエスにささげたということは、全てを神にささげるという主の祈りの信仰を行いで表しているということだと思うのです。
 
 乳香はアラビア半島の先端にあったシェバというところに生えている木の樹液を固めたもので、火をつけるとよい香りの煙を出すものです。礼拝に欠かせないものでした。日本の寺でもお参りの時などに香を焚きますが、ユダヤ教の礼拝では初めに乳香を焚いてよい香りを漂わせてから礼拝するのです。今日でもカトリック教会や聖公会の教会では礼拝の前に香を焚きます。博士たちも乳香を献げて、イエス様を神として礼拝したのです。
 
 没薬は文字通り薬です。傷を癒したり、遺体に塗って腐敗を防ぐ働きがあります。ミイラ作りには欠かせないと言われています。イエス様が十字架で亡くなったとき、ニコデモという人が没薬と沈香を混ぜたものを持ってきて、イエス様の遺体に塗り、それから亜麻布で包みました。お判りでしょう。没薬はイエス様の十字架の備えとして博士たちが持ってきたのです。
 
 黄金、乳香、没薬、博士たちの献げ物は、神であり、わたしたちを救うために神様がこの世にお遣わしになったイエス様にふさわしいものだったのです。
 
 クリスマスの時、こどもたちばかりでなく、大人もいろいろな贈り物を受け取っていることでしょう。その中で、最もすばらしい贈り物は何でしょうか。イエス様ではないでしょうか。神様はわたしたちにイエス様を贈ってくださったのです。わたしたちを罪の滅びから救い出すために下さったのです。かけがえのない贈り物です。
 これほどすばらしい贈り物を受け取ったわたしたちです。わたしたちも神様に贈り物をしましょう。わたしたち一人一人がサンタクロースとなって、困っている人たち、苦しんでいる人たちに素敵な贈り物を届けようではありませんか。一人一人がサンタクロースになることで、すばらしいクリスマスになるのではないでしょうか。