2022年12月25日 救い主の誕生 吉岡喜人牧師

(要約)イエス・キリストは悲惨と危険の中で誕生しました。神の子なのになぜ?それはイエス・キリストが救い主だからです。

(説教本文)ルカによる福音書2章1-20節 
 クリスマスは何の日でしょう?なんでそんなことを聞くの?イエス様の誕生日に決まっているでしょう!と言われそうですね。でも、聖書にはイエス様が生まれてことは書いてありますが、12月25日に生まれたとはどこにも書いてありません。12月25日は本当にイエス様の誕生日なのでしょうか?
 なぜクリスマスを12月25日に行うようになったのかは諸説あります。キリスト教の教派によっては、12月25日以外の日を主イエスの誕生日としているところもあります。初期のキリスト教の教会は、復活祭・イースターを祝いましたが、誕生祭・クリスマスを行う習慣はありませんでした。4世紀になり、ローマ帝国がキリスト教を公認したころになって、キリストの誕生祭をするようになりました。しかし、1年の中でいつ誕生祭をするかは、各教会でバラバラでした。紀元325年に第1回の教会会議が招集され、ローマ帝国中の教会から代表者がニケアに集まりました。この会議では、イエス・キリストが神なのか人なのかで大議論になりましたが、イエス様の誕生祭をいつにするかを決めるのも大変だったようです。なんでも10以上の候補の中から12月25日が選ばれたようです。
 
 12月25日がイエス様の誕生日かどうかわからないのであれば、12月25日にクリスマスを祝うことには意味がないという人たちがいます。本当に意味がないのでしょうか。先ほど紹介した教会会議で決めたことは、イエス様の誕生日ではありません。キリストの誕生祭をいつにするかということです。イエス様の誕生日はわかりませんが、イエス様がわたしたちのところに来てくださったことは確かなのですから、そのことを喜び祝う日が誕生祭・クリスマスなのです。クリスマスのクリスはキリスト、マスは礼拝です。ですからクリスマスは、キリスト誕生記念礼拝ということなのであり、その礼拝の日を12月25日と決めたのですから、意味がないどころか、とても大切な日なのです。
 
 さて、イエス様の誕生については、マタイによる福音書とルカによる福音書が記述していますが、それぞれの教会で語り伝えられてきた異なる伝承をもとにしているため、違いがあります。例えば、マリアが神の子の母となることを告げられたのは、ルカによる福音書ではマリア自身ですが、マタイによる福音書では夫のヨセフです。マタイによる福音書には東方の学者たちに救い主の誕生が知らされますが、ルカによる福音書では羊飼いたちに知らされます。このように違いはありますが、基本的には一致しています。最も重要と思う一致点は、イエス様が悲惨で危険な状況の中でお生まれになったということです。
 
 マタイによる福音書によると、婚約者マリアの受胎を知ったヨセフは、身に覚えがないことなので、マリアとの婚約を解消しようとしました。結婚していない女性が妊娠したということは、不倫をしたということになり、律法によって石打による死刑に処せられることになっていました。マリアが死ねば、胎内にいるイエス様も死にます。最初の大きな危機でした。しかし、天使の言葉を受け入れたヨセフはマリアと結婚したのです。
 
 遠く離れた東方の学者たちは救い主の誕生を知り、3つの宝物を携え、生まれたイエス様に会って礼拝するためにはるばるベツレヘムでまで旅をしてきました。ところが新しい王が生まれたと聞いたヘロデ大王は、ベツレヘム周辺の二歳以下の男子を皆殺しにしたのです。イエス様は両親に連れられてエジプトに逃げ、危機一髪のところで難を逃れたのです。
 
 ルカによる福音書ではどうでしょう。出産を待つ日々のマリアとヨセフ、貧しくとも幸せな日々だったでしょう。そこに、とんでもない勅令がローマ皇帝からくだされたのです。人口調査のために、全ての住民は、それぞれ夫の出身地に行って住民登録をせよというのです。ヨセフはダビデの血筋を引く人ですから、ダビデ家の町であるベツレヘムに行かなくてはなりません。マリアとヨセフが住んでいたガリラヤのナザレ村からベツレヘムまではヨルダン川沿いに直線で200キロメートルほど、道のりとしては300キロメートルから400キロメートルも離れています。東京から名古屋か京都ほどの距離です。ここを歩いて行くのです。すでに身重になっているマリアには大きな負担です。流産の危険もあります。ろばに乗るにしても流産の危険があります。しかし、ローマ皇帝の勅令は絶対です。もし従わなければ、死刑になるでしょう。
 
 やむを得ずマリアとヨセフはベツレヘムに向かいました。やっとのことでベツレヘムに着くことは着きましたが、今度は泊まる宿がありません。住民登録のために来た人々でどこの宿も満室だったというのが定説です。子どもたちが演ずる降誕劇・ページェントでは、マリアとヨセフが「とんとんとん、宿屋さん、どうか一晩泊めてください。」と歌うと、宿屋さんが「どこのお部屋もいっぱいですよ、困った、困ったどうしましょう。向こうの宿屋に行ってください。」と答える場面が繰り返されます。聖書には「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」と書いてありますから、どこの宿もいっぱいだったのかも知れません。しかし、別の理由も考えられます。それは、マリアとヨセフには宿代が払えなかったのではないかということです。先ほど触れましたように、ナザレからベツレヘムまでは東京から名古屋以上の距離がありますから、ベツレヘムに着くまでに何泊もしなければなりません。しかも身重のマリアは通常の旅人よりもゆっくりしか進めないので宿に泊まる回数が増え、旅費が嵩んだことでしょう。ナザレという貧しい村の中でも、最も貧しい暮らしをしていたマリアとヨセフにとって、ベツレヘムに行くための旅費は大きな経済的負担であり、十分な旅費を持っての旅ではなかったと思います。もしかすると沢山お金を出せば、宿に泊めてもらえたかもしれません。仕方なく、マリアとヨセフは家畜小屋に泊まったのです。わたしが中東で仕事をしていたとき、羊飼いたちをよく見かけましたが、あるとき羊小屋を見つけました。そこは小屋ではなく、岩をくりぬいた横穴でした。天上は低く、餌箱も石を掘っただけのものでした。雨風は凌げるものの、明かりもなく、動物の糞尿の臭いがする家畜小屋、マリアとヨセフはそのようなところで肩を寄せ合って寝たのでしょう。その夜、イエス様がお生まれになりました。イエス様は地面の餌箱に寝かされたのです。
 
 これほど悲惨で危険な出産は、今日の日本に住んでいるわたしたちには考えられません。しかし、今日でも難民キャンプや戦火の中ではこれに近い出産を経験した人たちもいるでしょう。
 
 しかし、なぜ、神の子であるイエス様がこのような悲惨で危険な目に遭わなくてはならないのでしょうか。それは、イエス様が救い主だからです。ユダヤの人々は、救い主が来てくださることを待ち望んでいました。救い主は、かつてのダビデ王のように強い王として来てくださると思っている人が大勢いました。鎧兜に身を包み、馬に乗り、剣を振るって敵を倒しながら助けに来てくれると思っていました。
 しかし、聖書をよく読むと、預言者が本当の救い主の姿を描いています。聖書をよく読んでいた東方の学者たちは、家畜小屋に寝かされているイエス様を見た時、この方こそ本当の救い主であることがすぐにわかったのです。天使から知らせを聞いた羊飼いたちも、預言者の言葉を聞いていました。羊飼いたちも家畜小屋の餌箱に寝かされているイエス様が本当の救い主であることがわかったのです。救い主である神の子イエス様は、強い人、豊かな人のためにではなく、弱い人、貧しい人、飢えている人、悲しんでいる人を救うために来てくださったのです。そのことを人々に知らせるために、イエス様ご自身が、貧しく弱い者として、わたしたちのところに来てくださったのです。
 ここに、神様の愛があります。神様の愛のある所には光があります。イエス様に会って礼拝した学者たち、羊飼いたちは、暗い家畜小屋の中のイエス様に希望の光、救いの光が輝いているのを見たのです。