2023年12月31日 東方の学者たち 森永憲治牧師

(説教本文)マタイによる福音書2章1-12節

学者たちはイエス様に三つの宝物、王様の象徴としての黄金、祭司の象徴としての乳香、十字架の死と復活の象徴没薬は、イエス様がまことの王であり、罪深い人と神とを和解するまことの祭司であり、十字架と復活によるまことの救い主という意味でしょう。

そしてこの東方の学者たちは、決してまことの神様を信じる信徒ではなかったのです。イエス様を最初に拝んだのは、羊飼いという当時の身分低い人達、そして今日の博士という身分はあるけれども真の神様を拝んでいた訳では無いいわば偶像崇拝の人。このことにもいろんな解釈があるでしょうが、イエス様の救いは身分も宗教も関係ない全ての人のためという意味でしょう。当時は暴虐なヘロデ王が統治していた厳しい時代でした。それは今に至る辛い世の中の象徴でもあるでしょう。そんな辛いこの世に全ての人を救うのが、イエスキリストなのです。

星占術の学者は、宝物を携えて、イエス様に献上しました。それはマタイ2章11節「黄金、乳香、没薬」です。これらは一つ一つ意味を持ちます。

まずは黄金。これはこの世の権力、王様、という意味です。つまり、黄金を捧げたということは、イエス様を王様としての捧げ物という意味です。

二つ目は乳香です。乳香は、当時神殿で礼拝と犠牲を捧げる時に用いられました。つまり祭司の意味を持ちます。すなわち、イエス様は祭司であり、それは人と神の架け橋。人と神との断然の中でその和解をするという意味です。

三つ目は没薬です。没薬は死者に塗るものです。本来ならば、生まれたばかりの子供に捧げるものではありません。つまりそれは、イエス様の十字架の死、そして復活を意味します。

つまり捧げられた三つの宝物、黄金、乳香、没薬は、イエス様がまことの王であり、罪深い人と神とを和解するまことの祭司であり、十字架と復活によるまことの救い主、そういう意味なのです。

学者たちはイエス様に三つの宝物、王様の象徴としての黄金、祭司の象徴としての乳香、十字架の死と復活の象徴没薬は、イエス様がまことの王であり、罪深い人と神とを和解するまことの祭司であり、十字架と復活によるまことの救い主という意味でしょう。

そしてこの東方の学者たちは、決してまことの神様を信じる信徒ではなかったのです。イエス様を最初に拝んだのは、羊飼いという当時の身分低い人達、そして今日の博士という身分はあるけれども真の神様を拝んでいた訳では無いいわば偶像崇拝の人でした。このことにもいろんな解釈があるでしょうが、羊飼いや異教の学者たちのイエス礼拝は、この世の象徴であります。当時は暴虐ヘロデ王の統治下で、この世の不条理と不幸の象徴でしょう。それは今に至るまで何も変らない、そんな中で、そのこの世もまことの神様を称えるのです。世界の象徴である東方の学者たちは、神様の導きの下、イエス様を拝んだのです。

さて、東方の博士はイエス様を拝んだ後は、マタイ福音書2章12節「ところが、ヘロデ王のところへ帰るなと夢でお告げがあったので、別の道を通って自分達の国へ帰って行った」とあります。もちろんそれは、2章16節にあるとおり、ヘロデが後にエルサレムとその周辺の二歳以下の子供を皆殺しにしたとあるとおりヘロデが異常に暴虐だったからでした。

博士たちが最初にヘロデに会った時は、イエス様がどこでお生まれになったかその正確な位置までは分からなかったのです。星の導きで初めて正確な位置が分かりました。だから2章8節で「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせておくれ。わたしも行って拝もう」とヘロデは言ったのです。

おそらく博士たちが救い主であるイエス様の位置を知った後でヘロデに会ったら、博士たちにイエス様の正確な位置をヘロデ王に報告させた後、口塞ぎのために殺されていたでしょう。そしてイエス様も殺したと思われます。ヘロデはまさに神様に抵抗するこの世の象徴、人間の罪でもあります。

こうして星占術の博士は、夢のお告げに従って、行きとは違う道を通り、無事に帰ることができました。

そして私達は、この聖書の箇所から、霊的な意味を理解しましょう。博士たちの行きと帰りと道が違う、それは、
「イエスキリストと出会った後では、人の人生は変えられる。イエス様にお会いする前の人生はこの世の悪がもたらす死の道であり、イエス様とお会いした後の人生は、神様と共に命ある人生を新たに歩む。」