2019年9月1日 正義を洪水のように 吉岡喜人牧師

預言者アモス、宗教改革者マルティン・ルター、公民権運動マーティン・ルーサー・キング牧師、この3人に共通することは、はじめから何か大きなことをしようとしたのではなく、神の言葉に忠実に使えようとしただけでした。

(説教本文)アモス書5章18節~24節

 皆様のご理解とご協力により、8月20日から27日までドイツに行ってきました。この旅行の第一の目的は、キリストの受難劇を観ることでした。キリスト受難劇としてはドイツのオーバアマガウで10年ごとに行われる劇が有名ですが、あまりにも有名で予約が取れませんでした。あきらめかけていたとこと、オーストリアのエルルという小さな村でも6年ごとに受難劇が行われると知り、今年がちょうどその年でしたので、急遽申し込んだという次第でした。この旅行の前半は旧東ドイツのライプツィヒを中心とした観光でした。申し込んだ当初、ライプツィヒは受難劇についているおまけの観光ような気持でしたが、この前半の旅がルターの宗教改革の足跡を辿ることになり、予想を越えた意義深い旅となりました。ルターの宗教改革については、神学校でかなり深く学んだはずでしたが、「百聞一見に如かず」と言われるとおり、多くの発見、再認識がありました。

ルターの宗教改革は、ヴィッテンベルクという町の教会の門に95ヶ条の質問状を張り出したことから始まったと言われます。2年前の宗教改革500年の時、森永憲治さんがこの教会の記念礼拝に出席しています。あの時とてもうらやましいと思ったことが、今回実現しました。これまでわたしは、免罪符(贖宥状)に反対したルターが95ヶ条をぶつけてローマ教皇に戦いを挑んだと理解していました。たしかに95ヶ条は宗教改革の引き金にはなりました。しかし、ルターははじめからローマ教皇に戦いを挑もうとしたのでも、宗教改革を起こそうとしたのでもありませんでした。神学博士だったルターは、「贖宥状は、ほんとうに人の魂の救いになるのか」という神学的疑問に対して討論するために質問状を出したのです。質問状を教会の門に張り出すことは、当時、学者たちが意見交換するために通常行われた方法でした。しかも、ルターは贖宥状を真っ向から否定していたということでもないようなのです。95ヶ条の中に、人々の魂の救いのために役立つ面もあるが・・・・と言っているようなのです。このあたりについては、もう少し勉強してから、いつか報告したいと思っています。

ところでルターが95ヶ条の質問状を張り出した教会は、ドイツ語でシュロス・キルヘと呼ばれています。シュロスは城、キルへは教会です。昨年火災にあったノートルダムもそうですが、教会が城を兼ねているケースは中世ヨーロッパでは特別なことではありませんでした。ヴィッテンベルク城教会の一番前の方の聖壇に一番近い所には、領主たちの紋章がついた特別席がありました。キリスト教はローマ帝国に公認された後、この世の権力と結びついて、歴史を歩んできたことの具体的な表れです。教会がこの世の権力と結びつくのは、この世の国を神が支配する国にするという理想を目指してのことでしょうが、必ず破綻します。それは、人間が不完全だからです。不完全さを聖書では罪と呼んでいます。罪ある人間に神の代行は出来ません。

同様のことが、イスラエルにもありました。イスラエルは、アブラハム、イサク、ヤコブの時代、エジプトを出てカナンに定着した時代、それに続くギデオンやサムソンなどの士師と呼ばれる人々の時代を通じて神の直接支配を求め、預言者が聞く神の声により政治を行っていました。しかし、イスラエルが王国になると、形は神が支配する国を装いながら、実態としては権力を握った王、貴族、祭司長などの支配者たちが自分たちの利益のために政治を行うようになりました。その結果、政治は乱れ、不正や弱いものからの収奪が当然のように行われ、民は苦しみの中で生きて行かなけらばなりませんでした。このような時代、神は預言者を立てて、王、貴族、祭司長などに対して、神の声を聞かせたのです。

エルサレムから南に25キロほどの所にテコアという小さな村があります。ある時、神はテコアに住んでいたアモスを預言者として選び、神の声を国の指導者たちに届けさせました。1章から4章にかけて支配者たちの罪の指摘と神の裁きの言葉が記録されていますが、ここから、当時どのような悪が行われていたのかを読み取ることができます。

他の町に攻め込み、捕らえた者を奴隷として外国に売り飛ばす。貧しい者を借金のかたに靴一足ほどのわずかな値段で奴隷として売ってしまう。小作人など立場の弱い者から徹底的に搾取し、従わない者の頭を足で踏みつける。貧しい者から質にとった衣を神殿で売り、無理に取り立てたぶどう酒を神殿の中で飲む。一方で、弱い者から取り立てた小作料や税金によって、ふんだんに象牙を使った家に住み、豪奢な寝台で寝るなどの贅沢をしている。アモスはこのような例を挙げ、ここには正義がないと断言し、邪悪な行いに対して神は怒り、その力を振るって強い者を撃ち、国は滅びると神の言葉を伝えたのです。

しかし、権力者たちは、アモスの預言を受け入れられません。持っている権力、権力から生み出される富、富によって可能になる贅沢な暮らしを手放したくないからです。神の言葉として国の滅亡を預言したアモスですが、権力者たちにとってはうるさい存在であり、祭司長アマツヤは国家に反逆する者としてアモスを追放処分にしたのです。追放処分にしたということは、この国にいるなら、命の保証をしないぞということです。しかし、アモスは祭司長の脅しに屈することなく、自分は語れと神に言われたから語っているのだと、預言活動を続けたのです。

自分の思いからでなく、神から預言者に任じられ、正義を語った故に命の危険に遭い、しかし神の言葉に従ったアモスです。このアモスの姿勢に、宗教改革者ルターが重なります。神学的な議論をするために問いかけた95ヶ条の質問が、自分の思わぬ方向に動き、質問を取り下げないと命の保証をしないと国王から脅され、真理は曲げられないと質問を取り下げませんでした。

さて、今日与えられた聖書の箇所は、5章18節からですが、冒頭に「災いだ、主を待ち望む者は。」とあり、びっくりさせられます。なぜ主を待ち望むことが災いになるのでしょう。ここで「主を待ち望む者」とは誰かというと、アモスの預言で批判されてきた権力者たちのことです。権力者たちは、先ほどあげたようなこと、主の目に悪とされることを行いながら、形ではユダヤ教の礼拝を行っていました。神殿に詣で、献げ物をしていました。しかし、形だけで魂の伴わない礼拝を神が喜ぶはずがありません。アモスは、お前たちにとって主の日は暗闇であって、輝きではないと言うのです。5章21節以下では、神は形だけの礼拝を憎み、献げ物も喜ばない、そのような献げ物は受け取らないと言うのです。金持ちたちは神殿で礼拝するとき、楽隊と聖歌隊を雇って詩編を歌わせました。しかし神は、魂の抜けた礼拝の歌声は、騒がしいだけだ、そのような歌は聞きたくないと退けられるのです。

アモスの預言を聞いて、わたしは少し心配になりました。わたしたちが捧げる礼拝を神は本当に喜んでくださっているのだろうか、献げ物を喜んで受け取ってくださるのだろうか、わたしたちが歌う讃美歌が騒がしい音として神に聞こえていないだろうか。わたしたちは、礼拝を捧げる時、神の前に出て礼拝するにふさわしいだろうかと自分の心に問いかけ、悔い改めてからでないと礼拝に出ることができないのではないでしょうか。聖餐を受ける時、冒頭の式文の中で「自分をよく確かめて聖餐に与りましょう。」という言葉が読まれますが、これも同じことを促しているのだと気づきました。どのような者であっても、礼拝するなと神は言いません。罪の多少は問題ではありません。所詮、わたしたちは罪を着たまま礼拝に臨むのです。しかし、片手で剣を持ち、片手で聖書を持つようなことをしてはいけない。剣を置き、罪を悔い、心を改めて礼拝しなさいと言われているのです。礼拝に向かう姿勢をアモスから正された気がします。

アモスは、正義を語るように神から言葉を与えられ、この世の権力から追われても、正義を語り続けました。今日の最後に響くアモスの言葉は、「正義を洪水のように、恵みの業を大河のように、尽きることなく流れさせよ。」です。

1955年12月1日、アメリカ合衆国アラバマ州モンゴメリーで小さな事件が発生しました。仕事を終えて帰宅するためにバスに乗ったローザ・パークスさんは、座席に座りました。ところが後から乗って来た白人のために席を譲るようにと、バスの運転手はローザさんに言いました。ローザさんは仕事で疲れ切っていたので、運転手の指示に従いませんでした。ローザさんは無理やりバスから降ろされ、アラバマ州の法律によって白人に席を譲らなかったとして逮捕されたのです。この事件に有色人種の人々が怒り、バスのボイコット運動を始めました。バスボイコット運動の中心になったのが、若きマーティン・ルーサー・キング牧師でした。この運動をきっかけに全米に人種差別撤廃の公民権運動が広まり、各州で次々と人種差別を容認する法律が違憲とされました。1963年8月28日、ンカーンの奴隷解放100年を記念する集会がアメリカ合衆国の首都ワシントンのリンカーンメモリアルで行われました。全米から集まった約20万人の人の前で、キング牧師が演説をしました。「I have a dream  わたしには夢がある」が繰り返されました。「わたしには夢がある。いつか自分の娘たちが肌の色で判断されることなく・・・・」この演説の中でキング牧師は今わたしたちが耳にしているアモス書5章24節を引用し、「正義が大河のように流れるまで、わたしたちは満足しない。」またイザヤ書40章4-5節を引用して「谷はすべて身を起こし、山と丘は身を引くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。主の栄光がこうして現われるのを、肉なる者は共に見る。このような日が来ることを夢見ている。」と語ったのです。

今日は、預言者のアモス、宗教改革者のマルティン・ルター、公民権運動のマーティン・ルーサー・キングを取り上げましたが、3人に共通することは、神の言葉に忠実だったことです。だれも最初から大きなことをしようとしたのではありません。ただ、神の言葉に忠実に生きようとしたのです。その結果、歴史に残ることをしていたのです。わたしたちは、同様に最も神の言葉に忠実であり、歴史を越えて世界の人に覚えられている人を知っています。イエス・キリストです。キリスト者とは、神の言葉、キリストの言葉に忠実に生きる者をいうのです。旅の最後にキリストの受難劇を観ました。全部ドイツ語でしたので、分からないことだらけでしたが、最後の場面、十字架を前に讃美歌(21-476)が演奏され始めると、観客が一人また一人と立ち上がり、讃美歌を歌いはじめました。わたしたちも自然と立ち上がり、日本語で讃美歌を歌いました。そのとき、ああ、キリスト者として生きて来てよかったと心から感動と感謝を覚えることができました。