2022年6月12日 神の子とする霊 森永憲治牧師

(要約)主イエスの父である神に祈る時、私たちは主イエスと同様に父と呼んで祈ることが許されています。祈りは神様の真の愛に対するわたしたちの真の対応であり、聖霊に導かれるのです。

(説教本文)ローマ8章12~17節

まず、本日の聖書箇所、15節「アッパ、父よ。」に注目したいと思います。

この「アッパ」というのは、イエス様が活動されていた地方の言葉アラム語であり、新約聖書が基本的に当時幅広く使われていたギリシア語で書かれています。その中でアラム語が使われているというのは他ではほとんど無く、それだけイエスの生の声だということです。

またそれは、この「アッパ」だけをギリシア語に訳さずそのままアラム語のままで聖書に取り入れたのは、それだけこの「アッパ」と言う言葉を重視した可能性が考えられます。

ここで覚えていたいことは、ここでは「アッパ」とアラム語で表記されていますが、私達がいつも唱える主の祈りも、日本語では「天にまします我らの父よ」というように「父よ」の前に「天にまします我らの」、と修飾語的に説明がある順番になっていますが、この主の祈りの原文の順番は、まず「父よ、天にまします」であって、「父よ」がまず来るのです。つまり、この主の祈りでも、「父よ」というのは、意味としては本日の聖書箇所である「アッパ、父よ」と同じ意味であり、それは主の祈りでも神様のことを「お父ちゃん」という意味で祈りなさい、というのです。

ここで一つ、他の聖書箇所で「アッパ、父よ、」と使われているところを見てみたいと思います。マルコ福音書14章32~36節。

14:32一同がゲツセマネという所に来ると、イエスは弟子たちに、「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。 14:33そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく恐れてもだえ始め、 14:34彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。」 14:35少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、 14:36こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」

イエス様が捉えられる直前の、本当に緊張した場面です。この時のイエス様の祈りの冒頭が「アッパ、父よ」なのです。

祈りとはどう祈るべきか?イエス様が教えて下さる祈りを本日は改めて学びましょう。それは、祈りはまずその態度としては神様に「お父ちゃん」と神様に祈れ、ということです。確かに神様は私達人間からみたらあまりにも尊く、なれなれしくなってはいけないはずです。しかしそこをイエス様は、いや、慣れ慣れしいのではない、神様は本当はこのように本当の父親が本当の自分の幼い子供を愛するように私達を愛している、だから私達も本当の子供になったように、本当の父親にお願いするような信頼感で神様に祈る、これがイエス様が教える祈りの基本的態度なのでしょう。

どうしても私達は祈りは厳粛な態度です。それはそれで大事です。その厳粛さを重視しつつ、このイエス様のおっしゃる子供のように甘えて祈るのが、父なる神様への祈りでしょう。

イエス様は捉えられる最も緊張した時に「アッパ、父よ」すなわち神様に向かって、「お父ちゃん」と祈られました。私達も困難で自分の力ではどうしようなも無いとき、イエス様のように神様に祈っていいんです、「お父ちゃん、助けて!」と。

ここで、本日の箇所と重なる、別バージョンのパウロの説明を見て見ましょう。ガラテア3章26~4章7節。

03:26あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。 03:27洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。 03:28そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。 03:29あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。 04:01つまり、こういうことです。相続人は、未成年である間は、全財産の所有者であっても僕と何ら変わるところがなく、 04:02父親が定めた期日までは後見人や管理人の監督の下にいます。 04:03同様にわたしたちも、未成年であったときは、世を支配する諸霊に奴隷として仕えていました。 04:04しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。 04:05それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした。 04:06あなたがたが子であることは、神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。 04:07ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神によって立てられた相続人でもあるのです。

ここで4章3節「世を支配する諸霊」と4章6節「御子の霊」が対照されていることが分かります。

つまり、「アッパ、父よ」と祈るのは、聖霊の働きがあってそう祈ることができるのです。

そしてこの「世を支配する諸霊」とは、簡単に言えば悪霊の類いであり、それが本日も出てきた、この世、あるいは肉、そういった、人間を死に導くものです。それに対し、聖霊は人を救いに導くのです。それが神様への祈りにおいて「アッパ、父よ」と祈ることになるのです。

本日は「アッパ、父よ」を通して、イエス様が私達に祈りを本質を教えて下さいました。それは、そうした祈りは信仰によって聖霊に導かれて祈れるもの、そしてそれは、甘えにも見える、しかし実は神様の私達に対する真の愛に対する真の対応、それが真の祈りなのです。

この世の滅びに至る諸霊や肉の欲望ではなく、真の命にいたる神様の聖霊に導かれるよう歩みましょう。